*本 文 *

□precious
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奥州の冬は早い。
木々が色づき秋の匂いを感じたと思ったら、程なく冬の足音が聞こえだす。



その日はやけに冷える朝だった。
空が曇っていたせいもあるのだろうが、空気はツンと鼻を突き、冷たい風が障子の隙間から流れてきた。


「今日は水も冷てえな」


まだ薄暗い中目を凝らしながら井戸水をくみあげると、小十郎はザブンと顔をそそぎ、水の冷たさに身を震わせた。
この分だと、寒がりの主は間違いなく布団から出たがらないだろう。

少し早いが仕方ない。火鉢を出して部屋を温めて差し上げようか。

寺の鐘は卯の刻(朝五時)を告げたばかり。
政宗の起床まであと一刻ほど余裕もあるからと、小十郎は火鉢のしまってある納戸へと向かった。


「小十郎様、その様なことは私が!」

「いいや。気にするな」

「ですがっ…」


気にするなと言われても、仮にも城主の右腕たる人物がゴソゴソと誇りくさい納戸を漁るのだ。
下働きの者達が慌てるのも当然である。

しかし小十郎にとって政宗の世話をするのはごく自然な事であった。

「確か…ここら辺にしまった筈だが…」

棚から箱を取り出し、一つ一つ中身を確認する。

政宗愛用の火鉢は、桐の無垢材を切り出した物に、金蒔絵と螺鈿の花鳥を散りばめた逸品である。
桐の上品な素地を彩る艶やかさを、政宗はいたく気に入っていた。

たが、なかなか見つからない。
少し奥の方に入れたのだろうか。

そう思い、小十郎が棚に手を入れた時である。奥の方から、埃にまみれた古い葛籠が出てきた。


「これは…」

古ぼけてはいるが、葛籠には見覚えがあった。
間違いなく数年前、小十郎自ら納戸にしまったものである。

中に入っているのは、沢山の半紙と丸くて白い石、コマの代わりにした貝殻と、一見つまらないものであったが、小十郎は思わず目を細めた。

「懐かしい…。ああ、このようなものまで…」

つい蓋を開け、しげしげと中身を見渡すと、溢れそうな思い出が小十郎の脳裏を駆け巡っていく。





あれはもう10年も昔。

19の小十郎が守役として仕え始めた頃、幼い政宗はその複雑な生い立ちのせいもあり、暗く沈んだ少年だった。
手負いの獣のような、怯えと敵意に満ちた瞳。
無表情に手習いをしていたと思いえば、些細な理由で酷い癇癪を起こし、見境いなく人や物を傷つける。

その厄介な性分から人は更に彼から遠のき、政宗の瞳は益々闇にのまれていった。

小十郎でさえ、あの暴れようには何度辟易させられただろう。
己の身分には不相応な役目を光栄に感じながら、政宗が眠ると心底ホッとした。

今日は何をしでかすのか。
何をきっかけに暴れだすのか。
毎日が、憂鬱で苦しくて堪らなかった。


しかし何故だろう。小十郎はどうしても、あの小さな手を離すことが出来ずにいた。
ただの仕事ではなく、同情からでもなく、本気で叱りぶつかり合いながら、政宗に寄り添っていたいと思うようになっていったのだ。


そしてあの時の小十郎と同じく19を迎えた主は、天に昇る竜のごとく、立派な武将になった。


伊達家17代当主、伊達政宗藤次郎。
眉目秀麗にして、文武に秀でた若き竜。

彼の存在は、小十郎の誇りの全てと言っても過言ではない。




「ふぅ……」

長いようで、あっという間の十年だった。

懐かしいものに囲まれ、改めて過ぎたる年月を感じると、不思議とため息が出た。
すっかり懐古の念に取りつかれた小十郎は、事もあろうに当初の目的を忘れてしまっていた。
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