* 本文(R18) *

□― 発情 ―
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「お着替えが終わりましたらすぐに朝餉をお持ち致しましょう。本日のご予定ですが…………」

情事の痕跡が残る床を拭きながら、小十郎は平然とした口調で今日の段取りを告げる。
さっきまでの獰猛さは何処に隠したのか、あっという間に家臣の顔に戻った小十郎は、何も無かったかのように淡々とした態度である。
大分長い付き合いだが、この男の多面性と切り替えの早さには、いまだに驚かされる。
政宗は適当な相槌を打ちつつ、まだ気怠さの残る体でヨロヨロと立ち上がった。小さな溜め息が、無意識に鼻先を抜けて行く。


申し訳ありませんと言わせるつもりが、何故か思い切り喘いでしまった。
しかも、自ら胸を擦り付け舐めろとねだった挙げ句、あんなにも夢中になって……。
いくら気持ちが良いからとは言え、意思薄弱にも程があるだろう。
と言うか、いい加減学習しろよ俺。

「Damn it !……クソっ」

自分の惑乱ぶりを思い返すと、悔しいやら恥ずかしいやら。政宗は後味悪く独りごちると、小十郎に背を向け着替えを再開した。
しかし、乱れた小袖を直すためにもう一度襟を開いた瞬間、政宗は再び下を向いたまま固まった。

「mygot………Give me a break!」

何てことだ。少し大きくなったと悩んでいた乳首が、事もあろうに更に赤く腫れている。
あれだけ摘まんだり吸われたりしたのだから多少の覚悟はしていたが、これは何と言うかもう――――自分の想像を越えている。

全体を仄かな朱に染め、水気を含んでふっくらと盛り上がる事後の乳首。地の肌色が白いだけに、その赤みは艶やかに朝日に映えるものの、男のものにしては妙に淫靡で生々しい。
こんな風に毎回赤く腫れていたら、乳首が大きくなるのも道理だ。

けれど、これを何度も繰り返していたら、この先自分の乳首はどうなってしまうのだろう。
胸の尖りをじっと見つめながらその将来を憂う政宗は、胸部を庇うように両腕を引き寄せると、次の間へと走り出した。

「ヤベェな。マジでヤベェ……」

ブツブツ呟きつつ、伊達家の紋が入った桐の長持を開き、中から白いさらしを取り出す。
肌着ごと小袖を脱ぎ払った政宗は、それを己の胸に巻き付け、胸部をきれいに覆い隠した。

「小十郎!」
「おや政宗様、胸にさらしなど巻いてどうされました」
「これはemergency発生のための特別措置だ」
「えま?…とは」
「俺の乳首の安全のために当面の間ここを封印する。いいか、お前もその辺よーく心得て、みだりに触ったりすんじゃねぇぞ!分かったな!」
「はぁ……」

さらし姿で居室に戻った政宗は、小十郎に向かって人差し指を突き出して、声高々と宣言する。汚れた雑巾を濯いでいた小十郎は、濡れた布を力強く絞ると、いかにも呆れてると言わんばかりの苦笑いを溢した。
広げた両足で力強く畳を踏みしめるほど意気込んでいた政宗は、当然面白くない。

小十郎のことだ。どうせまた長続きしないとか、触られれば即陥落するとか、政宗の決意を軽視しているのだろう。
だが、こうして弱点を封じた以上、小十郎の手管に易々と乗せられる心配はないし、いつものように最後は自ら哀願と言う悪循環に陥ることもない筈。

完璧だ。今回こそ俺の勝ちだと政宗が慢心していると、小十郎が矢庭に「では―――」と口を差し挟んできた。

「な、なんだよ。俺の決めたことに文句でもあんのか?」
「いえ。文句ではなく、小十郎よりご提案があるのですが」
「許す。言ってみろ」
「隠してしまうほどお胸が気になるのでしたら、しばらく閨事自体をお止めになったらどうでしょう」
「what?」
「ならぬと言われても、閨に入れば小十郎は愛さに負け禁を破ってしまいます。それでは元の木阿弥になりますゆえ、当面のあいだ閨事は控えては……と思いましてな」

たらいの端に雑巾を掛けた小十郎は、膝の上に拳を置き、政宗に目線を向ける。
真っ直ぐで濁りのない瞳。けれどその奥には、いつも政宗の予想を越える思惑が隠れている。
これは余り良くない雲行きだ。と、政宗の本能が囁いた。

「如何でしょうか」
「…………」
「そう警戒なさるな。言葉そのままに御理解くださいませ」

小十郎が、寸分の隙もない完璧な笑顔を取り繕う。

ちくしょう。ムカつくくらい澄ました顔しやがって。
政宗は警戒心たっぷりの顔で男を見ると、舌打ちしながら渋々口を開いた。

「一応聞くが、当面の間ってどれくらいだよ」
「それは政宗様がお決め下され」
「俺?」
「えぇ。そもそも最初に触れてくれるなと仰ったのは政宗様ですからな。その点において小十郎に決定権はないのですよ」

普段と同じように丁寧でへり下った言い方をしているものの、言葉の端々に挑発的なものが感じられる。
少し敏感に捉え過ぎだろうか。
だが―――――

「どうぞお気の済むまで禁じてくださいませ。勿論、お許しを頂ければ、小十郎はいつでもお相手つかまつりますよ」

この台詞を聞いて、政宗は自分が正しいことを悟った。
小十郎の発案には、やはり目論みがあったのだ。

『貴方のお許しを頂ければ』などと遠回しな言い方をしているが、簡単に言うなら、抱いて欲しければ前言を撤回し、小十郎に好き放題させろと言う事だ。そしてそれが出来ぬなら、小十郎は乳首はおろか、政宗に指一本触れぬつもりらしい。

「如何でしょうか、政宗様」

もう一度お伺いを立てながら、小十郎が口の端をニヤリと歪めた。

爽やかな従者から一変、小十郎は餌を付け狙う獣の顔を覗かせる。
やけに余裕ぶった態度に、不遜な笑顔。しかし、それが政宗を引き込むための罠、見え見えの挑発だと分かっていても、ここまで焚き付けられてしまっては、今更退く訳にも行かない。

「良いぜ。お前がそう言うなら中途半端に交わるような真似は止そう。俺もこれ以上乳首をおかしくされたくねぇしな」

内心動揺しつつも、政宗は元来の負けず嫌いを全面に押し出し、敢えてさばけた対応をして見せた。
正直言ってこんな勝負には乗りたくなかったが、これ以上小十郎のペースに巻き込まれるのは、政宗のプライドが許さなかったのだ。

「では、小十郎は本日よりお褥を下がらせて頂きます。万が一我慢できず小十郎が欲しくなりましたら、いつでも仰って下さいませ」
「ha!お前こそ俺が欲しくて堪らなくなったらいつでも言えよ。少しは考えてやるから」
「えぇ。その時は是非よしなに」
「フン…………」

つい数ヵ月前も些細な事を皮切りに、こんな侃々諤々としたやり取りをしたような。結局賭けには負けて、散々小十郎の好きにされてしまったような。
甦る既視感に背中がゾクリと冷たくなるが、もう後戻りは出来ない。既に崔は投げられたのだ。
政宗は狼狽を見せないよう顔中に力を入れ、口を引き締める。

「それでは、小十郎はこれにて失礼致します」

始末を終えた小十郎は、再び部屋の入り口で膝を揃え、深々と頭を下げる。
肘掛けにもたれた政宗は強張った表情のまま、「おう」と短い返事をしてそれを見送ったが、襖が閉ざされ一人になった途端、急に弱気になってきた。

「俺に触れないとかアイツ………マジかよ」

けれど、小十郎ならやりかねない。
有言実行だとか何とか理屈を捏ねて、自分が焦れてどうにかなってしまう迄、平気でほったらかしにする。
良く言えば意思が強い。悪く言えば頑固者。
片倉小十郎とは、そういう男なのだ。

「でもな。毎回やられっぱなしも悔しいし………」

額に手を当て、政宗は行き場のない溜め息を吐く。

乳首を可愛がられるのは好きだが、大きくなるのは嫌だ。
目合いは好きだが、負けるのは悔しい。
小十郎の事は愛しいが、意地悪な所は少し気に食わない。
どうしようかと悩みながらへなへなと上体を崩すと、強目に巻き付けたさらしが呼吸を苦しくした。



そして、それから数週間―――――。
予告通り、小十郎は政宗に指一本触れて来る事はなかった。
以前はそれこそ隙あらば蜜月を楽しんでいた政宗達であるが、最近は折角二人きりになる機会を得ても、普通に会話をして終りである。

二人の関係はもう終わってしまったかのかもしれない。そう錯覚するような淡白な関わり合いに歯痒さを感じながら、政宗は悶々としたものを溜め込む日々を送っている。

もう自分の事などどうでも良いのだろうか。こんなに長い間接吻はおろか抱擁一つせず、寂しいとは思わないのだろうか。
いくら我慢強いにしたって、こんなのあんまりだ。
何度も何度も、心から愛していると囁いた癖に。
いつだって熱っぽい眼差しで見つめながら、甘く激しくこの身を貫く癖に。

「ハァ……………」

縁側で一人紫煙を燻らせながら、政宗は寂しげに肩を落とす。
自分にも原因がある事は分かっているが、睦み合った日々などなかったように臣下としての振る舞いを崩さない小十郎を見ていると、時折酷く切ない気持ちになってしまう。

だったらいっそ―――と怯弱になる時もあるが、心の一部はまだ頑なまま、折れる事を拒んでいるから性質が悪い。

「あー!ムカつくぜっ!」

政宗は煙管を煙草盆に叩き付けると、ブスッとした顔で空を睨み付けた。

取り合えず、そろそろ触れたい。
乳首や勝負の事は後で考えるとして。抱き合って接吻して、指も体も余つところなく絡め合いたい。
この不安な日々は杞憂に過ぎないと。まだちゃんと愛されているのだと、この身体の隅々にまで教え込んで欲しい。

口が裂けても、あの男には言えないけれど。








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