* 本文(現代転生) *

□remembrance
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ステンドグラスが嵌まったマボガニーのドアを開けると、カランと鈍色のベルが鳴り、奥のプレーヤーから古いジャズが聞こえる。

棚にならんだ数多の酒瓶に、空調に混じる煙草匂い。

カウンターの向こうでは、気だるそうな顔のマスターが、割りと手際よく開店準備に勤しんでいる。


「おはようございます」

「オハヨー政宗君。あ、買い出ししてきてくれたんだ」

「そこの八百屋で牛蒡と茄子と茗荷が安かったから。はい、領収書」

青果店の領収書を手渡しながら一緒に荷物を渡すと、政宗は手早く着替えを済ませ、カウンターの中に入る。

「開店まで一時間か。よしっ」


やらなければいけないことを頭の中で整理しながら、厨房でフードの仕込みをしていると、マスターがひょいと顔を出した。

「今日のオススメは何にするの?」

「茄子のお浸しの茗荷合えと、鳥ももと叩き牛蒡の煮物。あとホタテのサラダ風カルパッチョにしようかと思うんだけど」

「そりゃ美味しそうだね。政宗君が来てから、うちのフードメニューも大分充実して俺様大満足!ねぇ、やっぱこのまま就職しない?」

「えー、ヤダよ。俺がずっと店にいたら、マスターまた海外にフラフラ行く気だろ?」

軽口を叩きながら、牛蒡を叩き割り、灰汁抜きの水に晒す。

マスターはバレてたかと悪戯っぽく笑って、政宗の隣でレモンとライムを切り始めた。






代々木と南新宿の間くらいにある、ショットバー『remembrance』
雑居ビルの二階にある小さな店が、政宗のアルバイト先である。

マスターの名前は、猿飛佐助。
オーナー兼腕の良いバーテンダーであるが、かなり自由な性格で、年に数回は前触れもなくフラりと海外に旅立つ困った人物だ。


政宗が何となく目にしたアルバイト情報誌からこの店に入り、約一年が経つ。
当初は雑用が主な仕事であったが
、センスの良さと熱心な所を買われ、本人も驚くようなスピードで見習いのバーテンダーとして働くようになった。

政宗の腕が上達するほど、猿飛のフラフラ癖が酷くなるのは唯一悩み所だが、居心地は悪くない店である。





「マスター、出来たやつの味見てよ」

「はいはーい。あ、良いんじゃない?何時もながら上手〜♪」


小皿に取った料理を味見しながら、猿飛がうんうんと頷く。

「政宗君は、お酒に合いそうな味を良く分かってるよね」

「そう?」

「特に辛口の…マティーニなんかさ。絶対合うよ」

ホタテをパクリと放り込み、猿飛が意味深な笑みを浮かべる。
政宗は一瞬ドキっとしたが、敢えて平静を取り繕った。

「俺は別にそーゆーつもりじゃ…茄子とか今が旬だし…」

「またまた。隠さなくったって良いよ。つか、顔に超出てるし」

「ウソっ!」

「良いな〜、政宗君の正直なトコ。そっか、やっぱりあの人、今夜来るんだ」

ニヤニヤする猿飛の隣で、政宗は僅かに頬を赤らめる。

長年人を見る商売をしているせいか、生まれつきなのか、猿飛は兎に角勘が良い。

ちなみに、"あの人"とは勿論、片倉先生の事である。



恵比寿で店のカードを渡してから3ヶ月。片倉先生は約束通り、このバーに来てくれた。
それどころか、店が気に入ったからと言って、今ではすっかり常連である。

忙しい合間を見つけてはremembranceにやって来て、政宗の作った料理を摘まみながら、ドライマティーニを三杯。
あんなにマティーニが似合う人を見たことない!と言う猿飛は、こっそり先生のことをMr.マティーニと呼んでいる。


「この間だって、"伊達君"じゃ子供のみたいだから、"政宗"ってよんでぇ〜とか言ってたよね!最近の若い子は大胆なんだから」

「だって小学生の時のままじゃ、ガキっぽいだろ」

「自分は先生って呼んでる癖に」

「うっ…」

更に追い詰められ、政宗はとうとう真っ赤になった。

何となく背伸びをしたくて、伊達君から呼び名を変えてくれるように頼んだ、先週の木曜日。

からかわれると思って、猿飛の居ないときに言った筈なのに、しっかり盗み聞きされていたようだ。

「しかもさ、初めて"政宗"って呼ばれた時の顔ったらさぁ〜」

「マスター!いい加減に…」

「はいはいゴメンね。……でも、このメニューならMr.マティーニ、片倉先生だっけ?も喜ぶよ」

「そかな」

そうだと良いなと思いながら、政宗は鶏肉に包丁を刺し入れた。





開店まで時間は迫っているが、圧力鍋を使えばどうにかなるだろう。味を染み込ませる時間は微妙だが、牛蒡が好物の先生は、これを気に入ってくれるだろうか。

甲斐甲斐しく料理に励んでいると、一度静かになった猿飛が、再び口を挟んできた。

「しっかし彼もマメだよね。政宗君の事がよっぽど好きなんだろうなぁ」

「先生はここが気に入っただけだろ」

「でも赤坂に会社があって、自宅は中目黒でしょ?疲れてんのにわざわざそんな遠回りするなんて変じゃん」

「変?かなぁ」

「なら政宗君は同じこと出来る?たかたが"元教え子"の為だけに」


反対に質問されて、政宗はつい言葉に詰まる。

自分だったら、多分行かないな。
行くとしても、時間に余裕がある時に付き合いで訪れる程度だろうか。

改めて考えると、片倉先生のマメさには本当に頭が下がる。

「ね、凄いことでょ?愛されてるなー政宗クンは。もうチューくらいした?」

「結局そこに辿り着くのかよっ!だから俺達はそーゆーんじゃないってば!」

「ほらまたムキになる。アハハっ!ホントに可愛い〜」


切り終わった柑橘類をバットに収め、猿飛は悪戯を成功させた子供のように厨房を出ていく。

だが、少しすると厨房の入り口から顔だけを出し

「さっきのは冗談だからね。Mr.マティーニは大丈夫、変な魂胆なんてあるワケないから」

と言った。


「マスター、それってどういう意味?」

「俺様、前週渋谷で…あ、ちょっと待ってて」

猿飛の言葉の意図がわからずに聞き返そうとした時、裏口から酒屋の配達が来た。

そして、結局話を中断されたまま店はオープンを迎え、テーブル2台、カウンター8席の小さな店は、あっという間に客で埋め尽くされてしまった。






「今日は平日なのに、お客さんスゴかったね〜」

「神様がマスターにたまには働けって言ってんじゃねぇの?」

「失礼な!俺様はいつも真面目に働いてますぅ」


拭いたグラスをきれいに並べ時計を見ると、もう九時近い。

そろそろだろうか。

手元の片付けをしながら、待ち遠しい気持ちでドアを見る政宗の目の前で、カランとベルが鳴った。


「いらっしゃいませ」

「やぁ」

政宗は満面の笑みを称え、"Mr.マティーニ"を出迎えた。








「はい、お絞り。外は暑かったろ?」

「一雨来そうな蒸し暑さだったな」

「オーダーは何時もので良い?フードのオススメはこれね」

「へぇ、それじゃ全部貰おうかな」

Yシャツの腕を捲り、片倉先生は優しく目元を緩める。

整った顔立ちをしているのに、何をしても嫌みのない人と言うのは、こういう人の事を言うのだろうか。

ジンとベルモットをステアしながら、ついつい先生の仕種一つ一つに目が行ってしまう。

「どうぞ」

「ありがとう。見習いって言ってるけど、なんだかプロみたいだな」

「んな事ねーよ」

政宗は照れ臭そうに笑って、厨房にフードの支度をしに向かった。




皿に料理を盛り付けながら、一人マティーニを愉しむ先生の横顔を見る。

きりりとした切れ長の目に、スッと伸びた鼻筋。
イマドキ時代遅れのオールバックも、彼には不思議と似合っている。

ジンベースで度の高いマティーニ。
辛口で大人っぽいカクテルは、マスターの言うように先生のような人の為にあるのかもしれない。


「会社でもモテんだろーな」


圧力鍋を開けながら、何気なく呟く。

互いの話に忙しく、先生の色恋について政宗は何一つ聞いたことがない。
気にはなるのだが、知りたいような知りたくないような、微妙な感情から聞けずに居たのだ。

でもきっと…。

あんな人が彼氏なら、相手は絶対幸せに違いないのだろう。



「お待たせ」

「旨そうだな。頂きます」

片倉先生が箸を割り、牛蒡の煮物を摘まんだ時だ。

「いやー!外すごい雨!政宗くーんタオルちょうだい」

外に知り合いの客を見送りに行っていた猿飛が、店に戻ってきた。

「片倉センセ、いらっしゃい。こんな成りですんませんね」

「いいえ、お邪魔してます。やっぱり降ってきましたか」

「ゲリラ豪雨ってやつかな。通りで急に客足が減ったワケだ」

政宗がタオルを投げると、猿飛はレジの前で濡れた頭を拭き始まる。
そのまま先生と世間話をし出したので、政宗はカウンターの隅で氷をカットする事にした。




「………で、なんですよ」

「そっか……は……だよねー」

破砕音に紛れて聞こえる会話に、ついつい耳が行く。

二人が話しているのは、いつも他愛のない内容なのだが、さっき聞きそびれた猿飛の言葉の続きもあり、行儀が悪いと思いながら、政宗は黙って会話を聞いていた。

と、そこで猿飛の口から「渋谷」と言うキーワードが発せられた。

左手の軍手を直すふりをしながら、政宗の手が僅かに止まる。
何だか嫌な予感がして、心臓が鼓動を早める。


「センセ、この間の水曜に文化村の辺りに居なかった?」

「えぇ。居ましたよ」

「俺様店が休みであの辺に飲みに行ってたんだけどさ。見ちゃったよ〜!一緒に歩ってたヒト、スッゴい美人だね」


コンマ一秒、政宗の時間が止まった。

ドキドキがとまらず、指先からすうっと体温が消える。


この落ち着かない気持ちは何だろう。嫌だ、これ以上は……。


「あのヒト、センセのカノジョでしょ?こんなトコばっかり来てて叱られないの?」

「彼女はフルートの講師をしてるんですが、夜間クラスを担当してるんで、夜は割りと勝手が利くんですよ」

「あ〜、なるほど。じゃあこの間は久しぶりのデートだったんだ」

「丁度彼女の観たがってた舞台のチケットが手に入ったので」


先生がグラスの酒を飲み干す。

いつものように、おかわりは?と聞きに行かなければいけないのに、どうしても体が動かない。



「政宗、もう一杯良いかな?」

「あ…ゴメン。今氷割り始めちゃったから、マスターお願いします」

「はいはい。了解でーす」


何故か先生と目を合わせる事が出来ず、政宗はオーダーを猿飛に回すと、再びピックを降り下ろした。

ザクリと割れ落ちる氷のように、自分の中で何かが壊れる。



何でこんなに胸が苦しいんだろ。
変だな。
頭が少しクラクラしている。



先生の口から紡がれた"真実"は、思うより強大な破壊力を以て、政宗の心臓を貫いた。
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