航海

□幕間劇
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彼は一人。

ここがどこなのか分からない。

ここがいつから在るのか分からない。

どうしてここに自分がいるのか分からない。

いつからここに自分がいるのか分からない。

気付いた時には、ここにいた。

幸いにも、常に持ち歩いている刀はあった。

いつもの鞘の固い感触が、知らず平常心でいさせてくれる。

ーーここはどこだ…。

周囲を見渡しても答えはでない。

全てが白。白、白、白。

真っ白な霧に覆われたように、真っ白なペンキで塗られたように。

世界は白で満ちていた。

郷愁と悲哀、憎悪と共に忌まわしい記憶が甦る。

折り重なって倒れた両親、クローゼットに隠した妹、銃撃がら逃れた先に見たシスターや友人達の遺体、そして炎に包まれた病院ーー。

無知と恐怖が人々に銃と弾薬、火を持たせて滅亡の道を選ばせた。

彼は舌を打った。忌々しいーー!

するとそれが合図のように景色が変わっていく。

まるで霧が晴れるようだった。現に白は瞬く間に消えていき、隠されていたものが出現する。

王の間。

そこに至る道順であろうと洗練された振る舞いを求められる、国の中で最も厳かで貴いその場所に彼はいた。

扉から一直線に敷かれた真紅の絨毯。奥に続くその先には、尊い血の中でも頂きに立ち、民を統べ、国を治める者にしか坐す事を許されない玉座。

彼は眼球が零れ落ちんばかりに瞠目した。

玉座に坐すものは、高貴さや気品の欠片もない赤いレンズのサングラスを掛け、足を組んだ粗悪な態度の大男が、下弦の月を思わせる笑みを浮かべ彼を睥睨している。

サングラスに隠れて見えないが、彼には男の目が何を宿しているか分かっていた。

人を人と思わない残酷な目。

悪逆を為す事に躊躇いがない残忍な目。

力なき者を侮蔑している目。

幾千度の炎熱の憤怒を宿している目。

この世の秩序を作った者達を憎悪している目。

この世の全てを破壊しようとする狂気に染まった目。

悪のカリスマとさえ呼ばれる怖ろしい男。

常人であれば容易に近付けさせない禍々しく凶悪な気が、陽炎のように立ち昇っている様を彼は見た。

そして何故気付かなかったのか。

どうして今まで見えなかったのか。

男の組まれた足に頭を乗せ、玉座に力なくもたれている小柄な男。一見すると座っている男に甘えているように見えるが、そうではない事を彼は理解していた。
目が閉じられた生気のない顔を彼は見つめる。瞼の裏には、空よりも濃い海の青に染まった瞳があるはずだ。

活力に満ち、生気に溢れ、陽光を受けた海の煌めきを宿す彼の瞳。
初めは驚き、苛立った。家族を、家を、故郷をーー全てを奪われながらも、絶望を知らないかのような希望に溢れた彼が。全てを奪った諸悪の男を、掛け替えのない“家族”と心から慕う彼が。

分かっている。外面に騙されてはいたが、本当は彼が深い悲しみを抱えていたことを。世界は赤と黒と多くの屍で出来ていると言うほどに、幼い心は疲弊し、病んでいたことを。

男が大きな手で彼の頭を優しく撫でる。愛おしげに、慈愛に溢れる仕草だが違和感があった。

彼には優しいのだろう。彼が愛おしいのだろう。彼を包む手は慈愛に溢れているのだろう。
だが寧ろそれは、捨てられた犬猫へのーー。

男の手が頭から頬へ滑るように降りる。節くれ立った指が目尻を撫で、頬を包む。そして薄い桃色の唇を擽るように指を動かし、口の中に入った。

見える訳ではないが、三本の指が彼の口の中を蹂躙する様を簡単に想像できる事が、腸が煮えくり返る程に腹立たしかった。
だが男の行為を今すぐ止めさせたいのに出来ない。目を逸らせなかった。

力づくで口の中を開け、上顎をくすぐるように撫で舌に触れる。弾力に富む温かく濡れた舌を指で挟み、弄ぶように引っ張り、付け根を擽った。柔らかい頬肉を軽く抓り、僅かに動いた彼を宥めるように舌を優しく撫でる。思うさまなぶられ、唾液が溢れ、男の指を濡らしていく。
温かく柔らかい濡れた肉が更に濡れていく。

距離を考えれば不可能なのだが、卑猥な音が届いてくるようで不快であった。なのに、どうして何も出来ないのか。どうして目を逸らせないのか。

理由は分かっているのだが、認めたくはなかった。

柔らかく温かい濡れた肉の中から漸く指が出される。
唾液をたっぷり絡めた指が、つ…、と頬を濡らす。唾液で濡れた指と頬が卑猥な光景に見えた。
指が顎のラインをなぞるように滑り、首に到達した。首筋を撫で、円を描くように小さな喉仏を擽る。そしてやんわりと細い首に指を絡めた。

彼は息を呑む。

男は笑みを深め、手の力を込めていく。

彼は大きく口を開けた。
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