stray dogs

□*探偵社通りの黒猫*
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*Detectives meet the black cat*

 ガウッ!

 フギャアッ!!

 耳をつんざく咆哮に、僕も乱歩さんもぎょっとした。

 上菅田の山の中で起きた、ちょっとした事件を解決した帰り道。よく晴れた午後の空の下、探偵社の入るビルはもう本当に目と鼻の先っていう場所だ。

「うわ、なに? 犬? 猫?」

「たぶん両方です」

 乱歩さんに答え−−−僕は、眉をひそめた。

 かすかな鉄の臭い。血だ。

 敦!? と驚く乱歩さんに構わず、路地とも呼べないような低層のビルとビルとの合間に走り込む。同時に腕を虎化すれば、辿り着いた先で今にも横たわる黒い塊に跳びかかろうとしていた痩せ犬が、悲鳴みたいな声を上げて別の路地へ向かって逃げて行った。

「飲食店の裏か…」

 餌場争いだったんだろうか。喉笛を噛み破られた黒猫は、でもガッチリしていて猫としては大柄で立派な体格だった。

「かわいそうだとは思うけどさ。ここで手出しするのは、ちょっと違うんじゃないか?」

 のんびりした足取りでやって来た乱歩さんの言葉は、きっと正しい。

 野良猫と野良犬の縄張り争い。半野生の摂理に介入するのは、ひどく傲慢なことだろうと僕も思う。

「でも…」

 と言いかけた、より小さい生き物だからという基準も、自分の好みで選り分けた不公平な情動でしかない。

「それにしても。租界ならともかくこの界隈で野良犬っていうのは頂けないな」

 そう言って、乱歩さんは野良犬が逃げた方を見遣った。

 そう。探偵社周辺は観光地だから、野良犬の徘徊は人間に害が及ぶ危険が高い。…この場合は、もちろん介入すべきケースだ。

 動物対動物、動物対人間−−−明確な線引き。

 ああ、どうしよう。解ってる、解ってるんだけど。

 辛うじてまだ息のある黒猫は、でもひくひくと細かく痙攣してる。このままだと、この小さな命は失われてしまう。

「どっちにせよ、保健所に連絡しないといけないなぁ」

 乱歩さんがキャスケットの上から頭をかいた時だ。

 みぃ、と。

 か細い鳴き声がして物陰から仔猫が三匹よちよち現れた。茶トラ、茶縞、灰色のサバ。横たわる黒猫に寄り添って、懸命にその黒い毛を舐めているのは励ましなのか手当てなのか…。

「…血縁じゃ、なさそうだね」

「ええ、それに、こいつ、オスですよ…?」

 たぶん、黒猫は仔猫を守ろうと自分より数段大きな野良犬に対峙したんだ。

 でも、母猫でもないのにそんなことってあるんだろうか。乱歩さんも、ふだんは糸みたいに細い目を瞠いている。

 その目許が、ふと弛んだ。

「与謝野さんに頼もう」

「え…?」

 どういう風の吹き回しだろう。だけど、この機を逃したら黒猫は助からない。

 僕が虎化したままの腕を伸ばすと、仔猫たちは健気にも黒猫を守ろうと威嚇してきた。撫でると怯えて黒猫にとり縋ったから、そのまま全部抱き上げて探偵社へと急ぐ。

「与謝野さん、頼まれてよ!」

 医務室に飛び込むと、僕が口を開くより先に乱歩さんが叫んだ。僕の腕の中の猫たちを見て目を剥いた与謝野先生は、でも次の瞬間には「やれやれ」とばかりに苦笑して黒猫に異能を使ってくれた。

「ありがと」

 見届けて、乱歩さんがふいっと医務室を出て行く。

「…いったい、何の気まぐれかな………」

 別に乱歩さんが冷たい人だなんて、そんなことはこれっぽっちも思ってない。だけど、ふだん子供じみたことばっかりしてるあの人は、必要なら躊躇いなく正論を説いて僕ら後輩を容赦なく諭す。

 仔猫をまとめて抱いたまま呟いた僕の隣で、与謝野先生が小さく喉で笑った。

「大方、昔のことでも思い出したんだろうさ」

「昔、ですか…?」

「ああ。……どうやらコイツはオスだってのに、その仔らの面倒を見てたみたいだからねぇ」

 ……ああ、そうか。

 乱歩さんには、黒猫に社長の姿が重なって見えたんだ。

 視えすぎる乱歩さんを理解できない周囲から乱歩さんを守り、その才能を以て生きていけるよう道を示した社長に。

 みぃ、と鳴く仔猫たちを、まだ処置台で眠る黒猫のそばに下ろしてやる。三匹ともすり寄って、体温を確かめてるみたいだ。

 実の仔でもないのに。黒猫は、この三匹が街の中で生きていけるよう導いて、命がけで守っていた。

 ほんと、社長みたいだ。

「もう大丈夫だよ。だけど、もう少し寝かせておあげ」

 僕が虎化を解いた手で撫でると、仔猫たちは喉を鳴らして僕のその手をぺろりと舐めた。

 …以来、僕ら探偵社の面々はこの黒猫と仔猫たちを社の周りでよく見かけるようになった。

 猫に詳しい春野さんによれば、オス猫の仔育てはめずらしいものの家猫にはたまに見られる行動らしい。

「もしかしたら、以前はどこかで飼われていたのかも知れませんね」

 そんなことを国木田さんに話しながら、書類仕事で固まった体をほぐすべく社屋裏の非常階段に出た時だった。

 みぃ、と鳴いたのは灰サバで。黒猫の方は踊り場に寝そべって、他の二匹に見せた腹を好きなようにさせていた。

「やあ、ゆきち。来てたのか」

「なっ…敦、お前! 社長の名前を猫につけたのか!?」

 無礼だろう!! と、当たり前だけど叱られる。…うん、僕もそう思ったんだけどね……。

「なに言ってるんだい、国木田。つけたのは僕だよ」

 ひょっこり現れた乱歩さんに、国木田さんが「は!? や、そのっ……!」と狼狽えまくりで噛みまくる。

 そんな国木田さんを気に留めるでもなく、乱歩さんは足取り軽く猫たちに近づくと、ご機嫌でおやつのカリカリをやっていた。

 ……これのお陰で、社屋裏はすっかりゆきちの縄張りだ。

「あ。そうだ、敦」

「はい?」

 不意に振り向いた乱歩さんが、真面目な顔で言う。

「このあと予防注射を与謝野さんに頼んであるからさ。猫たち連れてってよね」

「はあ…」

 びしっ! と人差し指を立てての指示に異論はない、けど。

 与謝野先生は獣医じゃありませんよ……?

 国木田さんと僕とが思わず顔を見合わせたなんてことは知る由もなく、乱歩さんは猫たちにまじって自分も駄菓子を食べ始めた。

 …この分じゃ、そのうち寮に連れて帰るって言い出すかも知れないな。




END

 
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