短編集
□真遙(free!)
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緩やかに浮上していく意識の中で頬を涼やかな風が撫でていくのを感じていた。目を閉じているせいで存在する暗闇は視力以外の感覚を研ぎ澄まさせるには適しているらしく、普段なら気にしないであろう物音や風の音まで自らに備わっている耳を通して伝わってくる。ああ、多分この風は扇風機から送られたものだ。
僅かに混じる機械音を聞きながらそんな結論を出した所でぼんやりとしていた頭がスイッチが付いたようにしっかりと回転し始める。
「…真琴?」
自分がうとうとし始めた時には傍にいたはずの真琴の姿も気配も無くて、けれど机に広げられたままの教科書や無造作に置かれた筆記用具は確かに真琴の物も混じっている。それによくよく考えれば、今日は天気も良いし風が涼しいからと換気のために窓を開けて扇風機をつけていなかった。
と、なれば窓を閉めて扇風機をつけたのは真琴だ。
なのにその本人の姿がいま傍になくて、よく分からないけれど心臓が冷えていく感覚に襲われた。
「…、居ないのか、真琴、」
座り込んだまま真琴を呼んでみても、普段と違って扇風機の音しか帰ってこない。あれ、おかしい。だって普通なら寝てしまったとしても起きればいつも真琴がおはようとか眠かったんだねとか気の抜ける笑顔で傍にいるのに。
普通が少し外れただけなのに酷く動揺して息が吸えていないんじゃないかと錯覚までしてしまう。
これはなんだ、と窮屈な空間で呆然と考えてどれくらい経ったか。
ガタ、と玄関とは違った方向から音がしてその瞬間に跳ねるように立ち上がって走っていく。角を曲がって見えた姿に詰まっていた息が正常に行き来し始める。
「っ真琴!」
「は、ハル?」
どうかしたの、と驚いたように目を瞬かせる真琴の手には野菜やらお菓子やらが入った幾つかの袋があって買い物に行っていたらしいことを理解する。
そういえば今は何時だろうとか、お腹が空いたし鯖が食べたいとか、なんで起こさないんだとか、いろいろと思うことはあるけれど何故だかそれらは口から出なくて気が付けば真琴に抱き着いていた。
「えっ、えっ、なに?ハル?ま、まだ眠いの?」
「…煩い違う」
「あ、ごめん…」
ワタワタと慌てる真琴をバッサリと切って、どうして自分は真琴に抱き着いたんだろうかと考える。相変わらず触れている部分から心地好い温度が伝わって安心していることは確かだ。
黙ったまま暫く考えていればほんの少し真琴の腕が動いてすぐ後にドサリと重い物が置かれたような音がした。それから背中を柔らかくポンポンと叩かれて、いろんなことがどうでも良いような気分になって息を吐き出した。
「真琴」
「なに?」
「…おかえり」
ぐりぐりと肩に額を押し付けながら呟けば、ほんの少しの間の後に擽ったそうに真琴が小さく笑った音が聞こえた。
「ただいま、ハル」