鴛鴦之契

□参
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規則正しく整列している大勢の兵士。
城の正面に向かって延びている石畳。

「春麗様のご到着でございます!」

馬車が止まると同時に、外から深く響くような声がした。
一斉に並んでいた兵士達が跪いたき、ゆっくりと、馬車の扉が開く。
その先に立っていたのは、懐かしい顔ぶれだった。

「白瑛様、白龍様……」

それは、かつて幼い日々を共に過ごした二人の姿だった。
記憶の中の姿より大きくなっている二人に、春麗に笑みが広がる。

「お久しゅうございます、春麗殿」

白瑛と白龍が、頭を下げる。
白瑛は頭を上げると、改めて婚儀の衣装を身に纏う春麗の姿を見た。

「もう、義姉上とお呼びしてもよろしいのですね」

「お待ちしておりました義姉上!」

白瑛に続き、白龍が胸の前で掌と拳を合わせた。

「さあ、お手を」

白龍が、小さな手を春麗に差し出す。春麗はその手に掴まり、馬車から降りた。二人の後ろに待機していた位の高そうな宦官が、城の方を手で示す。

「こちらでございます」

宦官の後に続き、白龍に手を引かれ、目の前に聳える紫禁城に向かって石畳をまっすぐ歩む。その後ろから、若い数人の宦官がついてきた。
長い階段を一歩一歩踏みしめながら登ると、徐々に空気が重苦しくなっていくような気がした。紫禁城は庶民からすれば天上界も同じ。昔はよく出入りしていたとはいえ、正面から入るのは緊張する。
残りの人生をこの中で過ごすことになるのだ、と煌びやかな着物の裾を握る春麗の手に力が入った。
いくつもの扉を抜け、長い廊下を渡り、城の奥へ奥へと一行は進んでいく。記憶力の高い春麗でも、内部を覚えるのは大変そうだ。
暫くは見取図を持ち歩かなければ、とまだ先に続いている廊下を見て春麗は小さく溜息をついた。
もうどれくらい奥に来たのかも分からない。紅い扉の前で、ようやく一番前を歩いていた宦官が足を止めた。

「春麗様、ご到着でございます」

後ろを歩いていた宦官二人が前に出て、扉に手をかける。低い音をたてながら、両方向に扉が開いた。中には、薄い黄色の宮女服をまとった女が数人並んで頭を下げていた。まだ少女と言ってもいいほどに若い。

「準備が整いますまで、暫くこちらでお待ちくださいませ」

宦官はそう言い残すと、下位の宦官を二人残して出て行った。残された二人は扉の両脇に立ち、まるで人形のように静止してしまった。

「春麗殿」

白瑛の呼びかけられ、見るものすべてに圧倒されていた意識が現実に引き戻された。白瑛の声を合図にしたかのように、並んでいた宮女が春麗の前で腰を落として礼をする。

「これから春麗殿の身の回りのお世話をする侍女です。ご入用の物があれば、この者達に申し付けを」

「分かりました」

白瑛が茶の用意を指示すると、宮女達は立ち上がって部屋の奥へと消えていった。同じ姿勢で連なって歩く姿は、訓練された兵士のようにも見える。

「義姉上、お腹はすいていませんか?菓子も用意したんですよ!」

見れば、部屋の中央に置かれている四角い卓の上に、大小様々な朱色の容器が置かれている。白龍は春麗よりも先に卓に走り、早速蓋を開け始めた。

「こら白龍、はしゃぐんじゃありません」

呆れたように白瑛が溜息をつく。人形のような人達の中で、この二人の無邪気さに安堵の笑みがこぼれた。
腰を下ろすと、ようやく緊張感が少し和らいだ。あまり空腹は感じておらず、菓子類は白龍に与えて、侍女が運んできた茶をちびちびと飲む。
一息ついたところで、白瑛がふと扉の方に目をやった。

「あとどれほどかかるのでしょう。白龍、見てきてくれる?」

干した杏を食べていた白龍が、口に手を当ててこくりと頷く。

「貴方達、悪いけれど、白龍と一緒に式の準備の様子を見てきてくれない?」

白瑛が扉の両脇に待機していた宦官にも、指示を出す。白龍は立ち上がると、宦官二人を引き連れて部屋を出て行った。白瑛はさらに、春麗の背後に立っていた宮女にも目配せをし、部屋から出ていかせた。
先ほどまで和やかだった空気が一変し、緊張感が漂う。白瑛は一度立ち上がり、春麗の前に跪いた。

「どうかされましたか?」

顔を上げた白瑛の表情は、少し翳っていた。

「実は、宴の前にお渡ししたい物があるのです」

白瑛はそう言うと、懐から白い布に包まれた物を取り出した。手の上で布が開かれると、乳白色の瑪瑙(メノウ)でできた櫛が表れた。水の波紋のような模様が彫られており、一目で高価な物だと分かる。

「これは……兄上が……白雄兄様が、生前春麗殿に贈ろうと、作らせていた櫛です」

心臓に糸を巻き付けられたような錯覚が、春麗を襲った。

「兄上と春麗殿の婚儀は内々に決まっていたのですが、兄上は直接求婚したいとおっしゃっていました。その時に贈るものを用意していると、伺っていたのです」

春麗の脳裏に、穏やかな白雄の笑みが浮かぶ。差し出された櫛を、震える手で受け取った。

「真面目な方でしたから、ただの政略結婚ではないということを、春麗殿に伝えたかったのでしょう。兄上が亡くなられた後に職人から届き、ずっと隠し持っておりました」

柔らかな光を帯びている櫛を指先で撫でると、滑らかな感触が伝わってきた。言葉が出てこなかった。声を出せば涙を止められなくなりそうで、春麗は唇を堅く結んだ。

「本当は、私は……春麗殿を、兄上の妃として……」

ずっと隠していたであろう本心を口にしようとした白瑛に、春麗は首を横に振った。その先は言うなと、目で訴える。己が言おうとしていたことの重大さに気付き、慌てて白瑛が首を横に振った。

「申し訳ございません。今の言葉はお忘れください」

白瑛は春麗の掌の上の櫛に、四隅から布をかけていった。

「紅明殿はお優しい方です。きっと、春麗殿を幸せにしてくださいます。ただ……これは春麗殿に持っておいていただきたいのです」

春麗は白瑛の目を見て頷くと、櫛を懐に仕舞った。

「これは……」

ようやく出た声は、少し震えていた。

「この櫛は、お守りとして大切にいたします」

長年の勤めを果たしたように、白瑛の顔に安堵の表情が浮かんだ。彼女の右の目から、一筋の涙が零れ落ちる。

「ありがとうございます……」

白瑛がそう言った直後、勢いよく扉が開いた。春風のように、白龍が部屋に飛び込んでくる。

「宴の準備が整いました!」

手を取り合って涙をこぼしている二人の姿を見て、白龍が不思議そうに首を傾げる。

「姉上、どうかなさいましたか?」

白瑛は白龍に笑みを向け、なんでもありませんと腰を上げた。

「さあ春麗殿……いえ、第二皇太子妃殿下、参りましょう」

春麗はしっかりと頷くと、白瑛の手をとって立ち上がった。

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