鴛鴦之契

□弐
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婚儀の日の朝、春麗は早くから支度をしていた。
滅多にしない化粧をして髪を結い、この日の為に用意されていた着物を纏う。最後に、金属器である剣を腰に提げた。
その姿を見た祖母も母も涙を浮かべ、親族からも多くの祝いの言葉を受け取った。
そうこうするうちに城からの馬車が到着し、家族と過ごす時間は残りわずかになってしまった。
使用人も全員出てきて、邸宅から門まで列を作った。その先には、城からの護衛が待っている。
使用人にも順番に挨拶をしながら門の手前まで来ると、春麗は家族の方を振り返り頭を下げた。

「父上、母上、お婆様、これまでお世話になりました。どうか、これからもお元気で……」

「春麗」

父が一歩前に出て、春麗を抱き締めた。

「お前を娘として扱うのはこれで最後だ。次に城で会ったときは、紅明様の妃として見ねばならない」

「……はい」

「実を言うと、私はずっと後悔していた。お前に剣を与え、女として生きる道を奪い、大きな責任を負わせてしまったのではないかと……」

「そんなことありません」

春麗は父を見上げ、腰に提げた剣に触れた。
金属器となったその剣は、元々兄が使っていた劉家に伝わるものであった。

「私は後悔などしていません。普通の女として生きていれば、今の私はいなかったでしょう。私に剣の道を教えてくださったこと、何よりも感謝しております」

それを聞いた父の目にも、うっすらと涙の膜が張った。

「そうか……そうだな……」

父は元いた場所まで退ると、母の肩を抱き最後に娘の姿をしっかりと目に焼き付けた。

「紅明様はお優しい方だ。安心してお前を送りだせる。……行ってきなさい」

鼻の奥が熱くなるのを感じ、咄嗟に春麗は腹に力を入れて耐えた。
泣いてはいけない。
笑顔で出発しようと決めていた。

「それでは、行ってまいります」

そう言い残し、春麗は家族に、生まれ育った家に背を向けた。
門の外へと足を踏み出せば、護衛の兵士と春麗の世話をする女官が一斉に頭を下げた。
振り向きたくなる衝動を抑え、従者に支えられながら馬車に乗り込む。
扉が閉まると、すぐに馬車は走り出した。
窓の外を見てみれば、多くの見物客で道が埋め尽くされていた。一目でも新たな妃の姿を見ようと、手を振り春麗の名前を盛んに呼んでいる。
赤と白の紙吹雪が舞い、見慣れた景色が華やかに彩られていた。
皇族になるとは、こういうことなのだ。

夫となる相手とは、愛し愛されたわけでもない。それどころか、初めて会うのだ。
しかし、それでも結ばれた縁。
相手からは愛されずとも、自分は相手のことを愛そうと春麗は心に決めていた。
これから一生を添い遂げることになるのだ。
共に暮らしていれば、良いところも悪いところも見えてくるだろう。それも全て引っ括めて愛そうと、春麗は決めていた。

「練春麗、か……」

新たな名前を口に出し、春麗は小さく微笑んだ。


‐✾‐



「ただいま、遣いの馬車が城に向かって出発したとの知らせがありました」

「ああ、分かった」

紅明の代わりに、紅炎が返事をした。
主役である紅明は、鏡の前で女官に囲まれ支度を進められている。
側でそれを眺めていた紅覇は、既に準備を終えて兄の支度を眺めていた。

「ふーん、明兄もちゃんとすれば見れるようにはなるじゃん」

「はあ……ありがとうございます」

「だから!なんで否定したり怒ったりしないの!」

からかい甲斐のない紅明に、紅覇は早々に飽きたようだ。椅子に座って足をぶらつかせ、紅炎の方を見た。

「炎兄、明兄の妃になる人って美人なの?」

「まあな。お前の基準で見ればどうかは分からんが、少なくとも人並み以上ではある」

「へえ。頑張ってね、明兄」

「はあ……」

覇気のない返事をする紅明に、紅覇が溜息をつく。
そうこうするうちに、紅明の方も仕上がったようだ。手伝っていた女官は素早く片付けをすると、一礼して部屋から出ていった。
紅明は鏡の前で見慣れない自分の姿に、眉をひそめて首を傾げた。

「なんというか……私があの方に吊り合うかどうか……申し訳ないですね……」

紅覇にはああ言ったものの、少し気にしている様子の紅明に今度は紅炎が溜息をついた。

「お前は女か。向こうの方がよっぽど根性も男気もあったぞ」

「やはり兄王様の妃にすべきだったのですよ。もしくは紅覇か」

「今更何を言う。しっかりしろ」

緊張と周りからの期待がそうさせるのか、普段以上に紅明は弱気になっている。

「婚儀の場で、し、失敗したらどうしましょう……」

「失敗も何も、お前はただいるだけでいいんだ。そんなことを考えている暇があったら、慣れない場所で暮らすことになる嫁の心配でもしてやれ」

紅炎はそう一喝すると、行くぞと紅覇に言い二人で部屋を出ていった。
一人残された紅明は、疲れ果てたように紅覇が先ほどまで座っていた椅子に腰を下ろした。
美しくそして強く成長していた劉春麗とは違い、自分はあの頃から何も変わっていない。いつも影に隠れているように生きてきた紅明にとって、春麗は自分とは正反対の存在である。
春麗との婚約を知らされた時の高揚感は嘘のように無くなり、今では不安ばかりが胸の内で渦巻いている。

「……いや!私がしっかりしなくては!」

紅炎の残した言葉を思い出し、紅明は自身を鼓舞するように両の頬を叩いた。
長机の上に置かれていた羽扇を持ち、深呼吸をする。
その直後、扉を叩く音がした。

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