鴛鴦之契

□壱
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その日、劉春麗の人生は思いもよらなかった方向へ進み始めた。

「劉春麗。お前を、我が弟紅明の妃として我が一族に迎えたい」

頭上から響く、強い威圧感を含んだ低い声。
これは要求ではない。命令なのだ。

「……ありがたく、お受けいたします」

絞り出すような声で、春麗は答えた。
練紅炎の一言によって、彼女の運命は変わった。

事の始まりは、三日前に遡る。
数ヶ月間行方不明になっていた劉春麗が、迷宮を攻略して帰還したのだ。
それを聞きつけた紅炎が、父親である右丞相に春麗と面会したいと申し出た。
そして今日、春麗は数年ぶりに城に足を踏み入れたのだ。
最初のうちは、茶を飲みながら紅炎と話をすることができた。紅炎も春麗も学問に長けているため、いい話し合いができていた。
しかし、面会時間も残り少なくなってきた頃、紅炎が突然話題を変えたのだ。

煌帝国を更に大きくするためには、まず国の内側を強化しなくてはならない。

紅炎はその考えを述べた上で、弟である紅明の妃として春麗を練家に引き入れたいと言ったのだ。
慌てて頭を下げた春麗は、はいと言うしかなかった。
紅炎は満足気に口角を上げ、春麗の肩に手を置いた。

「顔を上げてくれ」

恐る恐る立ち上がった春麗に、紅炎は真剣な目を向けた。

「俺は、お前を世継ぎのための道具にするつもりはない。紅明と共に、この国のために力を尽くしてほしい」

その言葉に、春麗の瞳から涙が溢れた。
己が仕えていた主人のために命を失った兄の姿と、かつて皇子と呼び慕っていた一人の男の姿が、春麗の脳裏に蘇る。

「煌帝国のために、この身を捧げます」

拳と掌を合わせ、今度こそ春麗ははっきりと紅炎に誓った。


‐✾‐



「あの者が、お前の妃となる劉春麗だ」

女官に案内されながら帰っていく春麗を、楼の上から紅炎が示した。
隣に立つ紅明は、はいとだけ答えた。

紅明は、春麗のことを知っている。
知っているとは言っても、直接顔をあわしたことも言葉を交わしたこともない。
かつて、まだ彼の叔父である練白徳が皇帝だった頃、彼女は兄とともによく城を訪れていた。今とは違いまだ身分が低かった紅明は、その姿を離れた所から見たことがあっただけだ。
女でありながら剣を持ち、白瑛に勉強を教えていた少女。
その記憶の中の少女は成長し、立派な女性になっていた。

「話してみたが、なかなかの器をしている。お前とも気が合うだろう」

「……そうですか」

姿が見えなくなるまで、二人は春麗を目で追っていた。

「次の遠征までに婚儀を済ませたい。そのつもりで準備をしておけ」

「はい」

紅炎は自分の側室としてではなく、敢えて紅明の正室として春麗を一族に引き入れることにした。
遠征の続く紅炎に何かあったときは、紅明が皇位を継ぐことになる。紅炎とは違い、紅明は戦闘向きの人間ではない。欠けているところは補えばいい。その穴を、春麗ならば埋めることができるだろう。
紅炎の側室のうちの一人になるよりも、紅明の正室になる方が練家を内側から固めることができる。
その意図を、紅明は理解していた。

「行くぞ、紅明」

春麗が去っていった方を眺めていた紅明は、紅炎の声で意識を引き戻された。

「はい」

中に入ろうとしている紅炎を、紅明は慌てて追いかけた。


その三日後、正式に紅明と春麗の結婚は公表され、練家の系譜に新たな名前が刻まれることとなった。


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