□ひぐれまち
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執務室の窓から見える空は抜けるように青く澄んでいる。シチロージは硝子越しの雲一つない晴天を眩しげに眺めやり、それから自分の膝の上で太平楽に寝こける上官を半眼で見下ろした。
強引に長椅子に座らされ、膝を貸せ、と命じられたのが四半刻ほど前のことだ。一応やりかけの仕事はあったのだが、上官の頭の上で書類を広げるわけにもいかない。かといって自分も寝てしまうなど論外で、シチロージは暇を持て余して上官の顔を観察するか、外を眺めるしかすることがないのであった。

大体何故自分が膝枕なぞせねばならないのかとシチロージは思う。自分だって男なのだ、するよりされる方が断然いい。…いや、だからといってこの男にされるのは勘弁してほしいが。寝心地がどうこうという以前に恐れ多い。

「カンベエ様」

膝の上を流れる髪をそろそろと梳いてよけながら呼び掛ける。閉じた目蓋がぴくりと動いたから、目覚めてはいるらしい。そう判断してシチロージは続けた。

「そろそろ起きてはいただけませんか」

膝の上からは、うぬ、と肯定とも否定ともつかない唸り声が返るだけで、相変わらず目も閉じたままである。起き上がる気など微塵もなさげな上官の様子に、シチロージは呆れて眉をひそめた。

「私の膝なんぞ、気持ちよくもありますまいに」

好いた相手に膝枕をしてもらう、というのは確かに男の浪漫、男の夢なのかもしれない。だがその膝の持ち主というのは、普通女子ではなかろうか。女子の温かくて柔らかくて仄かにいい匂いなんかもしちゃったりする膝だからこそ夢であり浪漫なのであって、戦うために鍛えあげた男の膝などごついわ堅いわで寝心地よいものでもなかろう。
そんなことを嫌みのつもりでつらつらと語っていると、膝の上のカンベエがいつの間にか目を開き、じっと見上げてきているのに気がついた。暗い色の瞳の中に己だけが映り込んでいて、シチロージは少し面映ゆくなる。どうにもいたたまれずに視線を外すと、貸した膝にそっと手のひらが添えられた。じわりと温い感触がくすぐったく、僅かに身体が竦んでしまう。
そんな副官の緊張に気付いているのかいないのか、カンベエは触れた膝をゆるゆると撫でた。確かに堅いな、とぼそりと呟く。

「だが木石ほどに堅いわけでもない」

「はあ」

照れのあまりにぶっきらぼうな返事しか返せないシチロージだが、カンベエは気にした風もなく膝に懐いている。

「適当に温くもある」

「左様で」

「それに今日のお主はなかなかによい香りがする。…この匂いは洗剤か」

そういえば今着ているものは昨日洗濯したばかりだったとシチロージは思い出した。カンベエは得意げに鼻を鳴らし、にやりと笑んだ。

「つまりお主のこの膝は、お主が言うところの条件を満たしておるということだ。…儂はお主を気に入っておるしな」

その言葉に、シチロージの顔はぱっと真っ赤になった。頬を石榴の実ほどにも赤く染め、ううとかああとか唸りながらうろうろと落ち着きなく視線をさまよわせている。
そんな副官を満足そうに見上げるカンベエは、分かったら今暫く枕をしておれ、そう言って再び目を閉じた。シチロージがはっと我に返ったときにはもう、軽く寝息など立てている。

「ちょ、あの、カンベエ様、」

慌てて肩を揺すりもしたが、今度は目覚める気配もない。叩き起こすかシチロージが立ち上がるかすればいいのだろうが、目の下にうっすらと隈などを見つけてしまっては、無理やり起こすのも躊躇われる。結局シチロージは身動きが取れなくなってしまった。
仕方なく窓に目を向けた。まだまだ明るい空を眺め、夕暮れまでには起きてくれるだろうかと考える。何しろカンベエの机の上にも自分の机の上にも、決裁を待つ書類が山と積まれているのだ。後の苦労を思うと疲れたため息しか出なかったが、その口元がほんのりと緩んでいるのには、シチロージは自覚していなかった。


 

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