□かたくにぎる
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「     、」

ひらけているはずの視界の、大部分を遮るものがあったので思わず息を飲んだ。

「起きたか」
「カンベエさま」

豊かな髪を揺らして主が覗き込んでいた。寝転がったまま慌てて周囲に目をやるが、主と己と二人しかいないこの小屋の中は、寝付いたときと変わらず薄青い闇に沈んでいる。
窓や戸の隙間から僅かに差し込むのは月明り、今宵は確か下弦の月であったから、夜半を幾らか過ぎた頃か、ひょっとすると夜明けも近いのかもしれない。それでも起床にはまだ早いはずだ。

「どうなさいました、もう少し寝ていてもようございましょうに」
「なに、女房に呼ばれて何もせぬでは亭主の名折れと思ってな」
「…うなされておりましたか」

しまったという顔で謝る古女房に鷹揚な仕種で頷いておいて、主はちらりと笑んだようだった。

「何度も呼んでおったぞ。夢の中でも儂が恋しいとみえる」
「…ええもう、今も昔も手の掛かる旦那様ですからね。とても放ってはおけません」

軽口に軽口で返す。夢の内容を訊かれないのが有り難かった。思い出したくもないし、そもそも口に出したくもない。何しろ今は主が目の前に、手の届く所にいるのだから。

「カンベエ様、」

ふと思いついて腕を伸べた。夢でのように、生身の右と鋼の左の両方を。
主は不意を突かれたか、一瞬動きを止めはしたが、すぐに伸ばした腕を取った。
片腕ではなく両腕を掴み、引っ張るようにして上体を起こさせると強く抱き締めてくる。
きっと仕様のない奴だと苦笑を浮かべているのだろう、その表情が目に浮かぶようで、主の肩に顔を埋めたまま小さく笑う。広い背中に腕を回しながら、あの夢はもう見ない、そんな予感がどこかでした。


 
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