□うつつのはし
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 カンベエが寝屋にとあてがわれた小屋に戻ると、シチロージが先に床に就いていた。戸を開ける気配にも気付かぬとは、と苦笑するが、起きているときならば気配に疎い男ではないから、余程疲れているのだろう。それとも知った気配であるから、反応せずともよいと、無意識で判断しているのかもしれない。

 人一倍気苦労をかけさせていることも働かせていることも承知しているから、主より先に寝るななどと言うつもりはない。しかしやはり、戻ったときに迎えの言葉の一つもないのは寂しいものだ。カンベエは疲れた溜め息を吐きながら、それでも古女房を気遣って、静かに小屋の戸を閉めた。

 小屋の中には、灯りは勿論火の気もない。窓の隙間から入る、弱い月明りのみが頼りである。そろそろと板の間に上がると、シチロージの蒲団の隣にもう一組、蒲団を延べてあるのに気付いた。カンベエが戻ってすぐに寝られるようにとの配慮だろう。小さなことだが、それだけで機嫌はいくらか持ち直した。

 煎餅蒲団の上に座って襟元を寛げながら、ふと隣の古女房を見やった。いくらか窶れたようではあったが、彼の美しさを損ねるものではない。年を重ねてなお衰えぬ彼の容姿を愛でるのは、カンベエの密かな楽しみでもあったから、そのことに少しばかり安堵した。寝乱れた髪を撫でてやると、掌の下で細い金糸がさらりと流れる感触がこそばゆく、自然と口元が綻んだ。このように触れるのも、思えば随分と久しぶりである。

 そういえば、ここ暫く仕事にかまけて触れ合うこともしていなかった。閨事も当然御無沙汰である。そう考えると古女房の白い肌が、急に艶を増したように見えた。
 髪を撫でていた手を滑らせ、頬に添える。掌に感じる温みに誘われるように顔を寄せた。

 
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