頂き物

□陸亜さんより
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滅び行く戦艦。崩れ行く思想。壊れ行く力。
後悔も自責も贖罪も未練も名残も、全てはそのままに。
哀しく愚かしく、故に切ないばかりのきもちだけを遺して。

そうして逝ったのは、死ぬほどやさしかった紫苑。



なみだいろのうみ



もうその声は聞こえなかった。
もうその叫びは届かなかった。
もうそのことばは、伝わらなかった。

その全ては、爆音に飲み込まれてしまったから。

もうその掌は掴めなかった。
もうその手は伸ばせなかった。
もうその腕は、抱き留められなかった。

その全ては、爆風に吹き飛ばされてしまったから。


――ハルバード!!


全ての柵から抜けて、
全ての罪を思い知り、
全ての業を背負って、
全ての心を解放った、

彼の、凍り付くような叫び声さえも、諸共に。



彼は後悔するだろう。
何故。どうして。何のために。何のせいで。
こんなことになったのかと理由を探っては、行き着いた現実に打ちのめされるだろう。
彼こそがその理由であり、原因であり、定められた運命の軸であったのだから。

それでも、それだからこそ。彼は後悔するだろう。
大切なものを護ろうとして、故に大切なものを失くす。
それはどんなにか愚かで、そしてどんなにか哀れだった。
それでも、誰ひとりとして彼を責められはしなかった。
彼以上に、彼を責めることができるものなど、居はしなかったのだから。
たったひとり、今は亡き紫苑を除いては。

どこで間違えてしまったのだろう。
歯車は確かにどこかで噛み違えてしまい、その果てにこの現実があった。
少しずつ少しずつ歪められていたその刃を、けれど誰が止められただろう。
それは不可抗力だった。彼が理性を感情を持って生きとし生けるものであった以上、仕方の無い
ことでしかなかった。

それでも、それだからこそ。沢山の後悔の先に、彼は立っていた。
彼が踏み締めているのは数多の骸と、幾筋の涙と、そしてたったひとつの紫苑。
その内で彼が喉から手が出るほど乞うていたのは、最後のたったひとつだった。
他のものを全て捨てたって、踏み付けて捻じ伏せて踏み躙ったって、それだけは。

求めていたはず、だったのに。
どうして忘れてしまったのだろう。
どうして憶えていられなかったのだろう。

いつだって傍にいた、あのやさしくあたたかなひかりを。
決して離れはしなかった、あのやわらかく強い温もりを。
確かに、想っていたのに。

どうして。どうして。
いちばん大切なものは、失くしてから気付くのだろう。
もう二度とその手に戻りはしない、そんなときにばかり。


橙の海に沈む、かなしいほどうつくしい紫苑。
無理矢理に墜落したちいさな船を漕ぐことも忘れて、彼はただそれを見送った。
それは、彼女が彼を力任せに詰め込むようにしては押し出した、所謂緊急脱出船。
最期の最後までそれを使う意味を知らなかった彼は、知った後で、やっぱり己を責めた。

瞼に焼き付いて離れないのは、それを押し付けた彼女の笑顔。
彼女の笑顔は他にも沢山あったはずなのに、どうしてか。それ以外をすっぱりと忘れてしまったかの
ように、ただそれだけを鮮明に。

(嗚呼)

消えてしまう消えてしまう、この記憶から彼女という存在が消えてしまう。
今でこそここにあるそれは、けれど時間が経てば嫌が応にも消えていくだろう。
そういう摂理を享受するしかなかった彼は、けれどそれを認めたいわけでは決してなかった。
そんなことは有り得なかった。
だから彼は目を閉じて、瞼に焼き付いた紫苑を引っ張り上げようとする。

最期に聞いたのはどんな声だった?
最期に見たのはどんな笑顔だった?
感じたのはどんな視線だった? 触れたのはどんな感触だった? 想ったのはどんな気持ちだった?

全てが「最期」に塗り替えられていく。まるで、もうそれ以外のことを忘れてしまったかのように。
そればかりが憶えていたいことではないのに。
それでも、最期のそれらばかりが、まるで壊れたレコードのように回り続けるばかりで。


幾度となく再生されるそれ、同じ数だけ繰り返される後悔。
止めてくれと願いながら、止めないでくれと願う同じこころ。
苦い記憶を止めたくて、けれど彼女の記憶を止めたくはなくて。
終わることの無い矛盾に苛まれながら、彼は喘いでは呻き、叫んでは咽んだ。


それでも。それでも。
彼は信じていた。
愚かにも、信じて願って祈ってしまって、いた。

哀しくも真直ぐなその想いに、一体誰が応えてくれたというのだろうか。
それが例え誰であったって、彼女そのひとでなければ全く意味を為さなかったのだけれど。
けれど、それだって、誰も責めることはできなかった。

それはまるで、迷子の子どもが母親を探すような――自然の摂理のように当たり前の感情。

橙に揺らめく海の底。
沈む夕陽と、そして藍。まるで夜の帳を下ろすように、たっぷりと広がっていく。
それは彼すらも飲み込もうとして、けれどそれは決して果たされないことだと、知らず。
彼には判っていた。
彼は既に夜そのものであって、それ以上に染まることなどありはしなかったのだから。

その奥で、微かに、けれど確かに。見えた紫苑を、彼は信じずにはいられなかった。
それが彼の見間違いや幻覚でしかなかったとしても、それでも。信じないわけにはいかなかった。
最期に見えた、聞こえた、感じた彼女を、最期だと信じることができなかったから。
二度と覚めやらないかもしれない夢の奥でだって、彼はどうしても、彼女を想わずには
いられなかったから。


愚かだと哂うだろう。
馬鹿げていると罵るだろう。
現実を見られないのかと、叱責するだろう。

好きなようにすればいい。
けれど私は、


どうしたって。



――メタナイト、



あの透き通るような声を、忘れることができないのだから。
あの穏やかな微笑を、あのしなやかな腕を、あのやわらかな視線を、あの淡い感触を、
あのやさしい紫苑を。忘れることなど、できはしないのだから。

けれど。

そうしながらも忘れていく、その身を裂かれるほどの苦しみを。臓を引き摺り出されるような
痛みを。こころが粉々にされてしまうような、絶叫するほどのかなしみを。
この生の続く限り抱えながら生きて逝くことこそが、自分に与えられた賠償であり贖罪だと、
そう言うのならば。

彼は立ち上がる。
どす黒く変色し始めた海水が、その夜色を一層深めて。
その下にある月色を瞬かせるように、しゃらりと雫を振り落とす。
水面に映ったふたつの月色が、くしゃり。歪められて、そうして。
見据えた先は、ただただ昏いばかりの海原。
その先に、彼女が眠ると言うのなら。


私は彼女を置き去りにして、そして生きていこう。
彼女が私を待ってくれると、そう言うのであれば。


その実、誰も――当たり前だけれど彼女だって、そんなことは言ってくれやしなかったのだけれど。
それさえも彼の幻聴だというのなら、それで良かった。それだって充分だった。
彼のこころをどうにかして、この海から引き摺り出せるのならば。
どんなに取り繕って、ぼろが出たって、それでも。彼が生きようと、そう思えるのなら。

(それこそが、たったひとつ。彼女が案じて、遺して逝きたかったこと)


いつの日か、私が逝くであろうその場所が、ここであると。
その日まで。彼女がここに居ると、私が彼女が互いを忘れはしないと。そう言うのであれば。


それだって、誰も証明も保障もできない、正に願いごとでしか有り得なかった。
それでも、それでも。愚かにも真直ぐに、そう信じながら。願いながら、祈りながら。
彼は歩き出した。
涙が出るほどいとしい紫苑に背を向ける、まるであっさりと手を放すようにして。
そのくせこころはいつまで経ってもここに縛りつけられているのだろう、それは愚かしくも
いとしい推測であり事実だった。

誰も信じてくれなくたって、たったひとり、彼は信じていた。
それを狂気だと人は言うかもしれないけれど、それだって彼にとっては現実だった。
彼女をほんとうの意味で失うことこそが、彼にとって唯一の狂気になり得るものだったのだから。

だから、彼はもう狂っていた。
それは余りに哀れなことだった。

何故なら、それ故に。
届いたその声を、それすらも彼は己の狂気だと、そう認めてしまっていたのだから。



迷い無く岸へと歩いていく彼を、どこかかなしそうに。申し訳なさそうに。叱咤するように
(最後のそれは、彼に向けてではなかったのだけれど)
見守る、死ぬほどやさしい紫苑が、しずかに水面に揺らめいていた。
どんどん小さくなっていうその背中を見詰めていたのは、切ないばかりの瞳。

(ごめんなさい)

あなたにそんな痛みを背負わせたって生きたいという、この身に不相応な願いを。
それでも、あなたのこころの中でそうしたいと願う、まるでひとのような望みを。

どうか、赦して。


今はもう届かないことばは、視線は、微笑みは、落ちるはずのないなみだは。
ぽしゃり、濃紺の海に落ちて、そして溶けて逝った。

Fin.


―――――
陸亜さん宅の壱万打企画で「メタハルでシリアス」と頼みましたら、こんな素晴らしいものを頂きました!!
読み終わった後、あまりの凄さに呆然としてしまいましたよ;(ぁ)
本当にありがとうございましたっ!!

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