水素ガール

□明暗と裏表
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「あれ?いない?」

ナマエは元いた場所に再び戻ってきたが、そこにあの二人はいなかった。くそ、逃げられた。ナマエは両手を、グーで握りしめた。ワナワナと震える身体。

「どうしたの?」

ナマエの後ろから男が声をかける。慌ててナマエは振り返り、誤魔化し笑いをした。相手は白いバンダナを巻いた好青年。珍しいピアスをしているのが特徴だ。ナマエが「ひっかけた」男。この人を見せたかったのに、なのになのにもういない。
喫茶店に入ろうとする男に遊ぼうと言って連れて来たのだ。

「いないって?」

男は不思議そうに聞く。

「あっ、いや......なんでも...」
「いいよ、オレ、怒らないから」

男は優しい眼差しで俯くナマエの顔を覗き込んだ。まるで扱い方をわかっているみたいに優しい。

「私、あるチビ男にお前はガキだから誰も相手にしないって言われて」
「うん」
「それで、私だってカッコイイ男の人捕まえられるんだーって見せたかったのに」
「そっか、その人帰ったんだ」

「ごめんなさい」ナマエは男の優しさに触れて申し訳ない気持ちになり頭を下げてきちんと謝った。男はナマエの下げた頭をじーっと見つめてポンポンと手で優しく叩いた。

「その人もわかってないね」
「え?」
「オレはキミが可愛いと思ったよ」
「......」

騙したうえに慰められるとはなんとも恥ずかしい。それにしても随分臭いセリフを恥ずかしげもなく言うんだな。自分が男を乗せたんじゃなくて、むしろ遊ばれたみたいだ。

「本当、ごめんなさい」
「そんな謝らないで」
「だって、私、あなたみたいにいい人を騙すなんて」
「いい人?」
「はい、あなたは正真正銘いい人です」
「面白いこと言うね。そんなにその人は口が悪い奴だったの?」
「口も悪いしファッションセンスもないし......だって全身真っ黒で顔半分隠してるんですよ?」

「しかもチビ」私よりも低いのと手で自分よりほんの少し低い位置で、その人物の大きさを表現する。
男は「、へぇ」と呟いて、おかしそうにクスクス笑い出した。

「何笑ってるんですか?」
「知り合いに...よく似てて」
「ええ!?あなたみたいないい人にそんな悪い知り合いがいるんですか?」
「ん?んー、まあ、気難しいかな」

きっと違う人。ナマエはそう思った。目の前の男は教養もありそうだし紳士だ。

「ところでお嬢さん、名前は?」
「あ、ナマエっていいます」
「......ナマエ?」
「はい、お兄さんは?」
「クロロ=ルシルフルだよ」
「変わった名前です、ね」

クロロという男はナマエから名前を聞くとほんの少しだけ表情を変えた。しかしそれはあまりにも一瞬のことだった。

「よく言われるよ。ナマエは何してるの?」
「私は絵描きしてます」
「へぇ、絵描きか」
「クロロさんは?」
「オレ?オレは...司書かな」
「シショ?」
「そう。図書館で働いてるんだよ」

ナマエはシショを司書に変換し「あー」と声をあげる。

「そうだ」
「はい?」
「オレの絵を描いてよ」
「クロロさんの?」
「うん、絵描きなんだろ?」
「うーん」
「オレを騙した罪滅ぼしだと思って」
「あ...はい」

イタズラな笑みにナマエは気まずくなって、カバンからスケッチブックと鉛筆を取り出した。
クロロはベンチに腰をかけ、ナマエもその横に腰を下ろす。
ナマエはチラチラクロロを見つつ、すごいスピードで手を動かしていく。

「クロロさん」
「ん?」
「目が大きいですね」
「、ハハハ」

ナマエは絵を描くことに集中していながらも、クロロの黒くて大きな瞳を褒めた。そのつもりだったが、クロロはあっさり笑い飛ばしてしまう。

「どうして笑うんですか?」
「だって、ロズだって大きい目してるから、人のこと言えるかって思ったらつい」
「ふーん、私、目大きいですか?」
「大きくて可愛いよ」
「そうですか」

クロロが手元にだけ集中するナマエを見つめた。褒められたのにちっとも照れもしない。あまりに集中してて頭に入ってこないのかもしれない。
おかしいな、照れるぐらいすると思ったけど。そいえば、さっきも可愛いって言ったけど、全然照れてなかったな。クロロはまたおかしくなって、笑い出す。

「動いちゃダメ!」
「ああ、ごめん」

ぴしゃりと叱られる。

「ナマエはいくつ?」
「...18くらいかな」
「くらいってことは...もしかして親がいない?」
「......」
「あ、ごめん...」
「いえ、いいんです」

親がいないという質問はどうやら図星だったようで、ナマエは少し言葉に詰まってしまった。まあ、ファミリーネームを名乗らなかった時点でその可能性が大きかったのだが。
その質問を最後にしばらく沈黙が訪れた。たまにナマエが相手の顔を確認する時は目線をはずすが、それ以外はナマエの手元を眺めて沈黙を過ごした。
そして、沈黙を破ったのはナマエの「できた!」の声。覗き込むと紙面にクロロ=ルシルフルが再現されている。明暗の付け具合も素晴らしい。

「すごい......すごいね」
「まあ、仕事ですからね」
「オレ、これにならお金払えるよ」
「い、いいですよ!罪滅ぼしだってクロロさんが言ったんじゃないですか」
「でも、なんかお礼がしたいな」

クロロは顎に手を当ててうーんと考える。
ナマエがスケッチブックからクロロを切り取って渡す。クロロは思わず見惚れた。自分の顔にではない。この絵は忠実にクロロを再現していながら、何処かイメージで空想を描いたような、そんな不思議な雰囲気でもあったからだ。ただ上手いの一言には収められない。

「ここにいることが多いの?」
「昼間は、ここか駅前かで絵を描いてることが多いです」
「そっか、じゃあまたそのうちお礼をさせて」
「え、いや、いいですよ」

胸の前でブンブンと手を振るナマエに間髪入れずに「いいから」とクロロは笑った。

「じゃあね、ナマエ」

立ち上がりクロロは元来た方角へと歩き出した。
ナマエはその背中を見つめながら「あのクソチビ」と一言呟いた。もう、クロロというよりはフェイタンに対しての方が思うことが大きかったようだ。


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