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□I'm tired.
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ある平和な夏の日の昼下がり。
いつものように水泳部のメンバーで昼ご飯を食べて、いつものように駄弁って、いつものように怜が渚にツッコミをいれて、そしていつものように教室へもどる。
ーはずだったのだが、
「あー、ごめんみんな。俺もう少しここにいるから、先にもどってて」
申し訳なさそうな顔でそう言ったのは、真琴だった。
「真琴先輩?どうかしたんですか?」
「ごめんね、ちょっと気分悪くて…少ししたらちゃんともどるから、大丈夫だよ」
「ええ!?まこちゃん具合悪いの!?」
「なら保健室に行った方が…」
「まさか保健室までたどり着けないほど具合が!?」
「あは、そんなんじゃないよ。ただ、保健室よりもこっちの方が空気いいかなって」
いつもよりも色の白い顔で小さく笑ってみせる。
「…無理はするな」
「ハル?」
「顔色、いつもより悪い。こんなとこにいるよりきちんと保健室で寝てた方が早く治る」
「…ありがとう。でも、ほんとに大丈夫なんだ」
だから、心配しないで。
真琴は馬鹿だ。
そんな顔でそんなこと言われたって、説得力があるはずない。
「…風邪、ひいても、知らないぞ」
「大丈夫だって。心配しすぎだよ、ハルちゃん」
「ちゃんづけはやめろ」
「はは、ごめんごめん」
授業開始5分前のチャイムがなる。
そろそろ昼休みも終わりだ。
「じゃあ、僕たち行くけど…」
「本当に大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ。みんなありがとう」
じゃあね、だとかおだいじに、だとかみんなそれぞれの言葉をかけて教室へと帰っていく。
「…」
俺だけは、何も言わなかった。
昼休み明けの授業はいつも決まってどことなくけだるい。
それは俺がわりに得意としている美術だとしても同じことだ。
だから俺は午後のだるさとほんのちょっとの真琴への心配を理由に授業を抜け出すことを決めた。
もちろん先生には保健室へ行くと告げてから。
たんたんたん、と軽快な音を奏でながら階段をのぼる。
最後まで到達すれば、屋上へ入るための唯一つの扉が顔をみせる。
途中の自販機で買ったスポーツドリンクを片手に扉をあけると、転落防止用の柵にもたれかかっている真琴の姿がみえた。
「まこ、…」
まこと、と声をかけようとして、やめた。
なぜなら、真琴が何か白い棒状のものをくわえていたから。
俺は最初、シガレットチョコか何かだと思っていた。
でもそれの先端には赤い炎がちらついていたので、すぐに違うとわかった。
そうなるともう、答えはひとつしかない。
心底億劫そうな表情で白い棒をくわえ、時折灰色の息を吐き出す真琴。
ひどく哀愁が漂っていた。
俺は、一旦屋上からでて、扉を閉めた。
がちゃん。
重たい音がした。
煙草っていうものは、人生に疲れてしまった人が吸うものだと思っていた。
まだガキだった頃にばあちゃんがよく言っていたし、煙草というものがわかった今でも、俺の考えはばあちゃんと一緒だ。
真琴は、疲れてしまったのかもしれない。
具体的な何かに対してではなく、もっと漠然とした何か。
俺にはそれが、わからない。
真琴はきっと、どうしようもない何かに疲れてしまったんだな、と。
ただそれだけが、頭に残っている。
「ハル?」
「ーーっ!?真琴!?」
「何してるの、こんなところで」
ていうか授業は?と首を傾げる真琴。
「……お前が心配だったから、抜け出してきたんだ」
ここで俺は、違和感に気づいた。
真琴から煙草の臭いがしない。
「………?」
「? どうかしたの、ハル」
するのは、ただただ爽やかなミントの香りだけだ。
「真琴、ミントのタブレットか何か食べたか」
「ん?ああ、食べたけど」
気持ちがすっきりするかなあって、思ってさ。
「…そうか」
なら、別にいいんだ。
そう言うと、真琴が笑う。
「変なハルちゃん」
「…………それはこっちの台詞だ」
「え?」
「なんでもない」
真琴はそうやって、煙草の愁いを含んだ哀しい臭いを、社会への小さな反抗を、爽やかなミントで塗りつぶしてしまう。
まるで、なにもかもをひとりで背負い込むかのように。
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煙草は20歳になってから。