三国無双 短編

□郭嘉
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深夜だというのにこの通りだけは灯りと人で溢れている。手引きするように視線を撫で付ける女たちが店の出入り口で立ち並んでいた。行き交う人々は男ばかり。富める者もその日暮らしの者も、今を精一杯楽しむために酒を煽っては通りをうろついた。

郭嘉も以前はそのうちの1人だったはずだ。今宵を楽しむためだけにその通りを歩き、今宵のみの相手に手を引かれ店を訪れた。幾つもの軍略、古今東西の戦史が記憶された頭脳には最後に相手を頼んだ女の顔さえ残っていない。



白狼山から帰還して後、暫くの療養を言い渡された郭嘉は大人しく屋敷で過ごしていた。自身でも信じられない程自室で過ごす時間を有意義に送った。花の咲き乱れる庭に出ようという意識もなければ、月を肴に酒を煽る気さえ起きない。郭嘉の計画では、先の戦場は今までと変わらないはずだった。幾年も費やした天下統一への計画、そのうちの一つに過ぎない。参謀としての戦略は臨機応変に対応する事、それもまた普段と変わらず。

異なるのは白狼山での戦でなく、自身にあることを郭嘉は知っていた。万人に与えられた天命という不変の理が、白狼山を気に突如変化したのだ。刹那を生きる上で必要だったのは一時の享楽。今宵の快楽がその先に与える影響に恐る事など知らなかった。

「将軍様、今日のお相手はお決まりですか。」

店の前で客引きをしていた妓楼の女将であろう女が声をかけるも、どうにも足が向かない。吸い込まれるように訪れていた以前の自分は何処へ行ったのかと、郭嘉は通りの喧騒に紛れて自嘲した。通りに焚かれた松明の炎が、何故だか眩しく見える。何もかもを見据えた上で何もかもを諦めていた。その頃には見えなかったものが、襲いかかるように迫ってくる感覚。郭嘉は闇夜を照らすための店先の松明から目を細めて視線を反らした。

「あぁ、歩き過ぎた。もうすぐ通りが終わってしまうね。」

魏国の首都許昌、曹操の膝元であるそこに広がる歓楽街の広さは三国一だ。北方の白雪のような美女はもちろん、南方独自の色気を持ちあわせた女までもが揃うそこで、郭嘉はどの女にも惹かれることがなかった。

「今はむしろ、女性に惹かれるのを恐れている…かな。」

関係を持たなければ関係が終わることは無い事もまた、郭嘉は知っている。男と女の関係も国同士の同盟も根本は似ていた。関わることのないまま滅んで行った勢力は数知れず。他人事のように聞き流すことのできる対岸の栄枯盛衰は痛みを伴わない。郭嘉は歩みを止め、歓楽街の突き当たりを眺めた。
居住区画である視線の先には深夜らしさのある闇が広がっている。今はまだ現実を受け止めたくは無いと、その闇に背を向けて来た道を戻った。

「か…郭嘉様、もうお帰りですか。」

「うん。今日は…いや、今日もやめておこうと思ってね。」

もう何度目かも分からないほど、深夜の歓楽街に訪れてはどこにも寄らずに帰る事を繰り返している。毎度待たされる馬車の従者は不思議そうな顔をするも、言われるままに馬を引いた。

郭嘉は馬車の中で満足そうに執務に励む陳羣の顔を思い浮かべ、損をしている気もするがそれもまた良いと口角を上げた。

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