三国無双 短編

□楽進
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結婚生活 楽進


もうお昼だというのに、文謙さんはすやすやと布団で寝ている。
10時に1度起きてお水を飲んだ後、二日酔いだと唸りながら再び眠ってしまったのだった。

「ねぇ文謙さん、昨日は何の日か知ってる……かな?」

寝顔に話しかけた私に、返ってくる言葉はない。
ご飯はよく食べてくれるし、女性の影なんて見え隠れしたこともなければ、二日酔いでない日は布団を畳んだり洗濯物を取り込んだりと手伝ってくれる事もあった。ただ、

「私、誕生日も祝ってもらって無いんだよね…。」

それは先月の事だった。
付き合っている時はこちらからアピールをしたり、奉考さんがそれとなくと伝えてくれたりしていたらしい。
だから花束を貰った事もあったし、ネックレスを買って貰ったことだってあった。

「う…おはようございます。どうしました?」

「…なんでもないよ。お水飲む?」

「はい!頂きます。」

文謙さんの会社は飲み会なんてほとんどない。
友人も既婚者を誘う人なんていなくて、凄く良い環境だった。問題は大学のラグビー部のOB会。
シャワーから出てきた文謙さんのTシャツ短パン姿から伸びる手足はとてもサラリーマンのそれとは思えないほど鍛えられている。
今も月1で週末にラグビーをしているのだ。もちろん個人トレーニングは毎日のことだった。

「昨日は後輩が誘ってくれたのです。私なんかを誘ってくれるなんて、とても嬉しくて。」

そう笑顔で話しながら、文謙さんは遅めの食事を取る。コーヒーにホットドッグとスクランブルエッグ。
簡単なものでも美味しいと言ってくれるのは、新婚の頃からだ。

「あのね、昨日が何の日か知ってる?」

「昨日ですか?昨日は……あ、」

文謙さんの顔からさっと血の気が引いた。そっと視線を合わせて、おそるおそる口を開く。

「も、申し訳ありませ…」

「ちなみに、私の誕生日がいつか知ってる?」

私の誕生日は先月のことだ。その日も文謙さんはお酒に誘われて、フラつきながら帰宅して来て倒れる様に眠ってしまって。

「…申し訳ありません!」

「申し訳ないって思ってるなら良いけど…」

勢い良くコーヒーを置いて背筋を伸ばし謝る仕草。
どうしましょう。下を向いてそうつぶやく様子ははしゃぎすぎて怒られた子犬のよう。
この状況に母性本能をくすぐられなければ女性を名乗ることは出来ないだろうと思う程に可愛くて。

「もう良いよ。けど、美味しいもの食べに行きたいなぁ。」

「もちろんです!あの、場所を探してきます!」

残りのホットドッグを無理やり口に詰めると、そのままベッドルームへと走って行った。




ベイブリッジは夕焼けに包まれて暖かい色に染まりつつあった。
お昼過ぎからのショッピングを楽しんだ私は、もはや怒りや悲しみと言った感情はないに等しく。
カフェのテラス席から見える眺めを満喫しながら、甘めのカフェラテに口を付けていた。
そろそろでかけましょうかと文謙さんが言って、買って貰った服やバッグの袋を全て持ってくれる。

「少し歩きますが、大丈夫ですか」

「うん。平気。でも、もう食事に行くの?」

夕暮れのみなとみらいを海風を受けつつゆっくりと歩く。
文謙さんは重い荷物を片手で持って、もう片方は私の手を握ってくれている。遊歩道として整備された道は花や木に囲まれている。2人で並んで歩くには最高の雰囲気で、なんだか付き合ったばかりの頃のように心臓がドキドキとした。

「大桟橋?ここから先は行ったことないよね。どうなってるんだろう。」

「今日は建物にも入るのですよ。さあ、行きましょう!」

文謙さんは手を握り直し、引っ張るようにして歩いていく。
私も夕暮れの公園の風景を眺めつつ、いつもは行かない建物へと近づいて行った。

【客船ターミナル・出入国ロビー】

そう書かれた内部は天井が高く、内部はまるで体育館のような広さになっていた。いつもは外からしか見ることがないから 、大きさを実感出来なかったのだ。

「お待たせいたしました。行きましょうか。」

「行く?何処かに行くの?」

「えぇ、こちらへ。」

ロッカーに荷物を入れてきた文謙さんがチェックインカウンターで何かのチケットを受け取り、奥へと進んでいく。
蛇行した通路を歩きながら外へと出て行けば、目の前には大きな船が止まっていた。

「行くって、これ?」

「これです。」

記念のお写真はいかがですかと勧められるままに船を背にして2人並んで写真を撮った。
船内は黄色い明かりで照らされていて、まるでさっきまで楽しんでいたみなとみらいから徒歩圏内だとは思えないほど静かだ。
船内であるはずなのに全く揺れない廊下を登り階段を上がると、他の人とは違う部屋へと通される。
花の名前が付いた部屋は、私と文謙さん2人だけの部屋らしかった。

側面には窓があり、外を見れば夕暮れの横浜港が広がっていた。
長めの汽笛が鳴り響く。出港するみたいですねと言った文謙さんも楽しそうにしていた。

「そちらからはプライベートデッキですので、ご自由にお使いください」

ウェイターらしき男の人がシャンパンとグラスを持って来てそう言ったので、早速外に出てみる。

「シャンパンは外でお出ししましょうか」

「はい。お願いします。」

文謙さんとウェイターが後ろでやりとりしているのを見ながら、私はデッキの側面から海を見下ろした。

「ねぇ見て!鳥が沢山いる。」

「本当ですね!それに波で遊んでいるようです。」

海鳥が船の作る波の上で流されて遊んでいる。
初めて見る光景に2人してはしゃいでいると、ウェイターがシャンパンを持ってきた。

「あの…1日遅れになりましたが、これからも宜しくお願いします。」

「こちらこそ、宜しくお願いします。」


まるで夕日に溶け込むようにシャンパンの泡が登って行く。
船の速度が増していき、みるみるうちにみなとみらいから遠ざかって行った。
部屋の中に戻って席に着くと、白いテーブルクロスがすぐに料理で埋め尽くされた。
横浜らしい中華料理は美味しくて、文謙さんは景色そっちのけで食事をしている。
文謙さんの食事をしている姿が大好きで、私はよく盗み見てしまうのだった。

「ご案内致します。船は間も無くベイブリッジの下へと参ります…」

食事が終わりかけた頃、船内放送での案内にはっとして2人で同時に外を見た。何度も通ったことのある橋だけど、下から見上げるのは初めてのこと。


「凄い…!ベイブリッジって大きいのね」

「見下ろすのと見上げるのとでは景色がまるで違いますね。」

文謙さんの腕を掴んだ私を優しく包むように腰に手を回してくれる。
プライベートデッキは静かで、まるで2人だけで船の前にいるかよようだった。

「そういえば、こんな素敵なところよく知っていたね。私も知らなかったのに…」

「その、学生時代の知人に教えて貰ったのです。私は風景や素敵なレストランに詳しくありませんから、覚えておけと言われまして…」

申し訳なさそうに話すのは、ラグビー仲間と飲んでいて結婚記念日を忘れたからだろう。けれど、そうして友人を大事にするのが文謙さんの良いところなのだと私は再認識した。

「文謙さんはいろんな人に囲まれて、彼らを大事にするからこそみんなも文謙さんの事を大事にしてくれるのね。」

「確かに…友人には恵まれていると思います。ですが、私が一番大事に思っているのはあなたですから。」

腰に回された手に力が入り、抱き寄せられた私は文謙さんの厚い胸板へと両手を置いた。
見上げる私の視線の少しだけ上に、文謙さんの瞳がある。


「次の結婚記念日は忘れずにお祝いします。それに誕生日も、ケーキを買って帰ります。」

「う、うん。」

「忘れてしまって、本当に申し訳ありません。愛しているのです。この気持ちを忘れていたわけではありませんから。」

「わ、わかってるよ。私も大好き。」

私の言葉に喜ぶ文謙さんには尻尾が生えているようで。
私たちが話をしている間に船首を返した船はみなとみらいを目指していた。気付けばあたりもすっかり暗くなっている。海の上だからかより暗さが際立っていた。

「あ、向こう側はまだ夕焼けだね」

「船の上からだと、みなとみらいが西に見えるのですね。とても綺麗です。」

未だ夕焼けの最中にいるみなとみらいの一帯は、東側から包むように闇に囲まれた不思議な景色だった。

文謙さんの瞳がキラキラとしている。子供のような純粋な心を持った彼の瞳に映る風景は、きっと私の見るものより綺麗なのだろう。

「文謙さん、本当にありがとう。特別なお祝いをしてくれて、私凄く幸せだよ。」

「私もです。誕生日と結婚記念日を忘れても笑顔で居てくれるなんて、感謝してもしたりませんし。」



2人並んで大桟橋を歩く。すっかり暗くなった遊歩道はそこらじゅうがライトアップされている。文謙さんの手には沢山のショッピングバッグがぶら下がり、反対の手には私が繋がっている。

来年も2人でお祝いしている事だろう。お互いがお互いに感謝して、尊敬して。
ずっとそういう関係の2人でいたいと思った。

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