三国無双 短編

□法正
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孝直さんは翌朝優しくなる。


目が覚めるともうお昼を過ぎていた。
昨日のお酒が少し残っているようだ。体がダルい。
昨日は久しぶりに孝直さんが当日中に帰宅してきて、なぜかワインを開けたのだった。

「おや、もう起きていましたか。」

「えへへ…、おそようございます。」

寝室に入ってきた孝直さんは早速からかうような言葉を投げかけてくるけど、
これはまぁじゃれあいのようなもの。

「コーヒー入れておきましたよ。砂糖もいつも通りです」

「ありがとうございまーす」

カップ半分のコーヒーに砂糖をスプーン一杯。
暫く置きっぱなしにして、飲む直前に牛乳を入れるのだ。

「…昨日の約束覚えてる?」

「えぇ、紅茶を飲みに行くのですよね。…3回目まで耐えられたから…な。」

「あーあーあー!そこまで言わなくて良い!」

夜中まで愛し合いたかった孝直さんと、次の日にデートへ行きたかった私のナッシュ均衡。

一緒にリビングへ行くとコーヒーはちゃんとダイニングテーブルで待っていてくれて、
冷めてきてそれに冷蔵庫から取り出した牛乳を加えてさらに温度を下げた。

「出かけるまで何も食べないつもりですか?」

「うん。お腹はあまり空いてない…かも」

「俺もだ。昨日の酒が抜けていない気もする」

ソファに座った孝直さんはシャワーを浴びた後のようで髪の毛がしっとりとしていた。
カップを片手に孝直さんの右隣へ滑り込む。ソファの上に足まで上げて、横座りしたまま凭れかかった。
タブレットPCに目を通していた孝直さんはタブレットから右手を離すと、
その手を私の肩に回してくれる。
筋肉質な腕は適度な重さで、暖かい。

「何見てたの?」

「仕事のメールを。中東の方々は土日も仕事なので。それと、紅茶が評判の店」

「探してくれたの?良いお店あった?」

覗き込んだけれど、画面に映っているのは検索サイトのトップページだけ。

「着くまでの秘密です」

「えー。何それ教えてよー」

「まずはシャワーを。もっとも、今のままでも昨日の残り香で色気はありますが、」

「わ、わかった!シャワーしてくるから!」

逃げ込むようにシャワーに向かう私に彼はいつもの人の悪い笑みを送った。





私がシャワーから出てくると孝直さんは既に着替えていた。これはある意味大きなヒントになる。
白いシャツに、黒のパンツだ。ポロシャツにデニムではないところをみると、行き先は気軽なカフェではないみたい。

いつもより入念にファンデを塗って、アイラインはちょっと濃いめで。
つけまつげは孝直さんが好きじゃないみたいだからやめておく。

ダスティピンクのミドル丈スカートに、ライトグレーのアンサンブルカーデを着た。
意外な事に露出を好まないらしい孝直さんは今季流行のスカート丈がお気に入りだ。
タイトスカートの時も、丈は膝丈でないと顔をしかめる。
そんな歳ではないのだからといつか言われたことがあったけれど、それが本音で無いのは奉考さんから聞いたことがあった。

あれは年末のコンサートへ出かけた時のこと。偶然ロビーで顔を合わせた奉考さんの事を、孝直さんが仕事での知り合いだと紹介してくれたのだ。
私を見た奉考さんが頷いたのを見て孝直さんが明らかに嫌な顔をしたのに、奉考さんは全くと言っていいほど気にもとめずにこう言ってのけたのだった。

「あぁ、思ったとおり清楚な方だ。綺麗なものを汚したがるのが彼という人だから…ね。」

あの時の孝直さんの不機嫌具合を思い出すと背中が寒くなってきた。
今はおめかしを優先させなくては。小ぶりなバッグに必要なものを詰め込んでリビングに行けば、孝直さんはソファでタブレットを弄っていた。







「うー、なんかお腹空いて来ちゃったかも。ねぇ私ケーキも食べたい!」

「いくらでもどうぞ、ご自由に。」

ケーキもあるお店なのか。
なんだか周りに緑が増えて来た気がする。公園とかではないはずなのに、両脇には青々とした木が生えていた。
私は普段電車しか使わないので、車に乗ると途端に位置関係が分からなくなってしまう。
ここはいったいどの辺りなんだろう。
信号が青になって右折すると、目の前にはベルボーイのような格好をした人が立っていた。



椿山ホテル


助手席から見えた文字には明らかにそう書いてあった。思わず運転席へ顔を向けたけれど、視線が合わないから気付いてないようだ。いや、気付いていて無視をしている。車はそのまま少し下ったところにある駐車場へ停めて、エスカレーターで1階のロビーへ上がった。
エスカレーターの前には綺麗に生けられた花にが堂々と鎮座していて、
アンティークな雰囲気をいっそう華やかにしている。
孝直さんはそのままラウンジへと向かった。
綺麗な女の人が丁寧な口調で席へ案内してくれる。
ちょうど席が空いたらしい窓際に通された。
途中で見えた他のテーブルに並ぶのは、おしゃれなティーセットと女子の憧れ三段のお皿。


「どうしよう孝直さん、私幸せです。」

「そうですか、貴方にも食後以外に幸せを感じられる瞬間があったのですね。」

「私、あの三段のが良いな…。」

「…………」

辛辣な嫌味をさくっとスルーしてメニューに視線を落とした私に孝直さんは呆れたようだった。
でもそれは仕方が無い。
緑豊かな窓際の席、真っ白なテーブルクロス、アンティークな空間に漂うお花の香り、そしてあの三段のお皿。


アフタヌーンティーセットを注文して、ハーブティと迷った末にオススメだというダージリンを選択した。
あの三段のお皿はケーキスタンドというらしい。

「シャンパンはいかがなさいますか?」

「シャンパン…?」

「あぁ、シャンパンは一つだけ。最後に。」

孝直さんは車の運転が必要だから飲めないけれど、私だけ飲んでも良いのかな…。
二人きりになったテーブルでちらりと視線をやれば、飲めば良いでしょう何か問題でも?と言わんばかりの視線。



「わ…凄い…可愛い!」

「俺には食べ物を可愛いと評する感覚が理解できませんがね。」

「このグラス何かな、ゼリー、かな…」

1段目はオープンサンドとキッシュ、
2段目はこんがり焼けたスコーン、
3段目は小さなケーキとグラスに入ったゼリー。

「先ほどの説明では葡萄のゼリーだと言ってましたが」

「き、聞いてなかった…」

「そうでしょうね。ちなみにこれはジャムですよ。」

視線を降ろせばジャムが三種類。今初めて目に入った。
目の前に広がる光景に見とれて説明を全く聞いていなかった私を孝直さんは鼻で笑った。
それでも、その目は私を優しく見つめていてくれる。

甘い物をあまり食べない孝直さんは、私に三段目のケーキを全て任せると
口直しにコーヒーを頼んでいた。
思えば、孝直さんはコーヒー派だ。それもブラック専門の。
私がシャンパンの泡に見とれている間も、のんびりとブラックコーヒーを飲んで景色を楽しんでいる。




「孝直さん、ありがとう。私とっても幸せです」

「それは良かった。シャンパンをもう1度頼まなくても良いですか?」

特に酔っているわけでもないけれど、外は薄暗くなって来ているし昨日もお酒を飲んでしまったので、
私は頭を横に振ってお断りした。
なんていうか、孝直さんは優しくて良い人だ。奉考さんがいうような意地悪な人ではないと思う。今度会ったら妻としてこっそり訂正しておかなきゃ。

「気にしなくても良いでしょう。どうせ今日も遅くまで眠れないのだから。」

「……え、」

驚いて孝直さんを見れば、これまたさも当然のようにそう言った。

「おや、これだけ幸せにして差し上げたのに、何も返して下さらないのか。」

「だってこれは昨日の、」

「昨日の、何です? 」

「な、なんでもないです…」

「倍にして返していただきますよ。」





奉考さん、貴方の言うとおりでした。
私の夫は意地悪です。








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