賢者の石
□三章
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いつまで経ってもフーリンがセブルスを襲うことはなかった。むしろ、ただ床に這いつくばっているだけのような彼女に、セブルスは違和感を覚える。
これと同じようなことを経験したことがある気がしたのだ。十年来の友人である行方不明の彼女も、このように自分の目の前でいきなりうずくまることがあった。それに対して最初こそ驚いたものの、原因が分かれば対処は簡単だった。
もし、セブルスの目の前でうずくまる彼女が友人と同じように吸血衝動で苦しんでいるのだとすれば、取るべき行動は一つ…だが、たった今尋問をかけていたような人物を助ける必要性はあるのかと考えれば疑問が残る。それでも助けてやりたいと思うのは、目の前の生徒がフーリンに似ているからだろうかと首を捻った。
「はぁ…ぐ…ぅぅ。」
フーリンは必死に苦痛に耐えているように見えた。確か、吸血鬼はこの衝動を起こしている間耐え難い苦痛に苛まれると本で読んだ記憶がある。そして…強く異性を惹きつける特殊なフェロモンが出る、とも。ああ、そうかとセブルスは合点がいった。普段なら怪しい人物などいないに越したことはないとサラリと見殺しにしていただろうに、助けたいなどという思考に至っているのは友人に酷似している少女に対する同情でもなんでもなく、面倒なフェロモンのせいなのだと。
「おい、顔を上げたまえ。」
そうセブルスが言えば、フーリンは素直に顔を上げた。彼の予想はどうやら当たっていたらしい。フーリンの瞳は月のような黄色から、吸血鬼や悪魔といった種族に多いとされる紅へと変貌していた。
(混血……か。)
純血の魔法使いであればこのような衝動は起こらないし、純血の吸血鬼であれば瞳の色は常に紅だろう。
(ああ……どこまでもフーリンに似ている。)
友人であるフーリンも(まあ、目の前の彼女と同一人物であるが)混血だった。そして、それが原因で魔法使いにも吸血鬼にも、ましてやマグルにも受け入れられなかったと言っていた。
「Ms.オークス。君がこれから我輩の質問に全て正直に答えると言うなら楽にしてやろう。」
フーリンは静かに首を横に振った。知られたくなかった。自分がフーリン・アシュフォードだということを。何もできなかった、己がよく分からない呪いにかかっただけの役立たずだと…その暗い瞳で見下ろされたくなかったのだ。
彼女に生理的な涙が浮かんだ。愛した人に蔑まれるという最悪の事態を想定した結果なのか、吸血衝動による苦痛のせいなのかは彼女自身にも分からない。
一方、セブルスは心の中で舌打ちをしていた。彼女が取引に応じなかった為だ。むせ返るような甘ったるい空気が研究室に充満している。この空気は間違いなく彼女から発せられているフェロモンであり、これの効果を受ける対象に残念ながら自分も含まれている。
あまり長い間この空間にいては、彼女のフェロモンに当てられて、自分は彼女の為すがままになってしまうかもしれない。
(少々荒っぽいが賭けるしかないな。)
セブルスは唐突に己の杖を抜き、魔法によって己の右腕に傷をつけた。腕からは鮮血が滴り、吸血鬼である目の前の少女を甘く誘う。
「…欲しくないのかね?」
血が滴る右腕を前に突き出せば、少女は弱々しく己の腕を伸ばした。今のフーリンは理性的ではない。ただ“血を飲みたい”という大きな欲求を満たそうと身体は必死なのだ。その身体に刻まれた欲求からは逃れられず、駄目だと分かっていても求めてしまう。
セブルスは右腕をすっと引き、もう一度少女に問うた。
「どうする?誓うか?我輩の質問に正直に全て答えると。」
少女はこくりと頷いた。それを確認したセブルスはもう一度右腕を差し出した。少女はその紅く染まった右腕にしゃぶりつき丁寧に血を舐め取った。次第に少女の荒かった呼吸は落ち着き、瞳は金色に戻る。
なんとなくバツの悪そうな顔をしたフーリンに、セブルスは早速聞いた。
「で?君は何者なのかね?」
「……フーリン。」
ポツリ、呟くように彼女は言った。それに片眉を上げながらセブルスはもう一度聞いた。信じられなかった。
「…フルネームは?」
「フーリン・アシュフォード。」
セブルスは眉間の皺を増やしながら目の前の年端もいかない少女を見下ろした。どれだけじっくり見ても、少女は少女のままでとても同い年の捜し求めた友人には見えない。
「証拠は?」