愛と嘘と白紙の台本

□第八話 蜘蛛の巣にすら引っ掛からないハエに価値はない
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いっそ荒々しく抱いてくれればよかった。彼だけが満足できるような自分本意のセックスをしてくれれば私だって割りきることができた。これは私に課せられた仕事なのだ、と。
それなのに瞬くんはこっちが泣きたくなるくらいに私を壊れ物のように扱った。もしかしたら秋が起きてしまうかもしれないからそうしたかもわからない。だけど本気で私が欲しいのか、と思えるほど瞬くんとのセックスは暖かかった。
辛うじて私にかからない場所に汚物を吐き出し、死んだように眠る瞬くんの腕から抜け出した私は中途半端に脱がされた服をそのままに風呂場へと向かった。あの様ではしばらく秋と瞬くんは起きないだろう。だったら今のうちに退散しておくのが得策のように思えた。特に瞬くんとは顔を会わせたくないと思う。
茉莉ちゃんが昔に持ち込んで、秋が捨て忘れていたのだろうボディーソープとシャンプーをつかってシャワーを手っ取り早く済ませた私は汚れのない服を着直した。少し匂うお酒と瞬くんがつけているオーデコロンの匂いはポーチにいれている香水をかければ消えるだろうか。

「ナツメさん!」

「と、瞬くんのマネージャーさん」

「はい。こんにちは。瞬さんはこちらに?」

「いますよ」

開けた玄関扉の先にいた完全お掃除スタイルのマネージャーさんに「お疲れさまです」と一声かけてから秋くんの家を後にした。それにしても完璧な姿だったな、と。エントランスを出てからふつふつと思いだして笑いが込み上げてくる。
今ごろ瞬くんはマネージャーさんに起こされているのだろう。目が覚めて、私がいないのを知ってどんな顔をしているのだろうか。何を思っているのだろうか。それともなにも覚えていないのだろうか。

「バウッ」

「バウってぅわ!?でか...い、犬?」

ぶんぶんと尻尾を振って自分目掛けて走ってきた大型犬はくるくると私の周りを回っては嬉しそうにもう一度吠えた。なんだか見覚えのあるこの子に私は何処で会ったのだろうか。飼い主の顔が喉まで出てきているというのにあと一歩で思い出せそうにない。
毛並みのいい白い頭を撫でながら頬やら顎やら舐められてた私は「おいお前」といった低い声に顔を挙げることを一瞬躊躇った。と同時にこの子の名前も、飼い主の顔も思い出してしまった。

「...こんにちは、」 

「何故顔をあげない。ついにこの俺にひれ伏す気にでもなったか」

「冗談きついですね、」

カミュさん、と。付け加えた私の顔はひきつっていなかったもん自信は0だ。緊張してひくひくしている頬は笑っているのかすら確かではない。
トキヤと同じ事務所に所属していて、嶺二さんと同じグループとして活動したこともあるこの男が私は大の苦手だ。何故か気に入られ、気にかけてくれるのは嬉しいことだけれど、その度にかけられる威圧感は堪ったものじゃない。素直にこの人は怖いと思う。

「美風とのドラマ、ちょうど時間が空いていたからな、みてやったぞ」

「そうですか」

「悪くない演技だ。やらされている感が感じられなかった」

隣を歩き出した長身を見上げればその顔は私を見ていて、けしてからかいの一貫で褒められたのではないことを彼の表情を見て知った。トキヤはカミュさんを自分にも、他人にも厳しい人だといった。彼とペアを組まされたセシルくんは「カミュは極悪人です!」といっていたらしい。「味覚は狂ってます!」とも。
それからはしばらくただ並んで歩いていった。川沿いを会話をなく歩く男女なんて私たちくらいだろう。変装していても“美しい”という言葉がぴったりなカミュさんと度のはいっていない眼鏡と帽子をつけている私を何人が振り返った。通りすぎていった女子高生がカミュさんを褒め称えて黄色い声をあげた。

「ナツメ」

「なんですか?」

「いや...やはりよい。俺はこちらへいく。お前はどうするのだ」

明らかに言葉を飲み込んだカミュさんの足元でアレキサンダーが吠えた。しゃがんだ私はアレキサンダーの首筋を掻くように撫で、カミュさんを見上げた。ここからでは上目使いどころではなくなってしまいそうだと思った。

「私はカミュさんとは逆方向です」

「そうか」

「あの」

「なんだ」

「また、一緒に散歩してもいいですか」

「別に構わない」

しゃがんだままの私に背を向けたカミュさんとアレキサンダーを見送り、姿が見えなくなってから立ち上がった。「気を付けて、帰れ」というカミュさんの声が何故か耳に残って消えてくれなかった。
きっと私は一人になりたくなかったのだ、と気づいたのは完全にカミュさんの姿が見えなくなってからだった。なにかに心臓が締め付けられるような感覚に自分自身を抱き締めた私はゆっくりと息を吐き出した。

“こわい”

だなんて。久しぶりに感じた気がした。救いを求めることが出来る手は伸ばす先を探すことは出来なかった。
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