愛と嘘と白紙の台本

□第四話 蛹には死ぬか蝶になるしか選択肢はない
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私が入ったのはちょっと廃れたビルの三階にある喫茶店だった。マスターのその日の気分でメニューが全て替わる、メニューのない喫茶店だ。
わりかし広い店内にお客さんの二人しかいないそこに最初こそ音也くんは怪訝そうな顔をしていた。だけどマスターの入れたコーヒーと手作りのお茶請けが出てきた途端に目の色を変えた。

「俺ね、トキヤに美味しいコーヒーの匂いとはこういうものだって散々高校の時に教えられたんだ」

「トキヤってマニアックだもんね」

「そうなんだよ!食事からなにもかもスケジュール通りにーって、もう信じられないくらい」

パッと見音也くんは甘党に見えるけど、案外そうではないらしい。甘いお茶請けには手を出すことなく、砂糖もミルクも入ってないコーヒーを眉ひとつ歪めることなく飲んでいく。
キャラメル色をした私のカップの中身と黒に近い色をしている音也くんのカップ中身。ミルクひとつで世界がかわるコーヒーも、紅茶も、やっぱり面白い。それともミルクが“偉大”なのだろうか。
もしもコーヒーやミルク、砂糖を私たちの業界にたとえるとすればカップがプロデューサー、コーヒーが私たち女優やアイドル、砂糖やミルクがファンだろうか。私というコーヒーはどんな味がするのだろう。
ーー美味しくなかったりしてね
思わず笑った私に音也くんは不思議そうに首をかしげ、私はなんでもないというかわりに首を横に振った。彼の前では私は“ナツメ”でなければいけない。きっとナツメなら自分をコーヒーにたとえたりしないはずだ。

「音也くんってさ、どんなアイドルになりたいの?」

「どんな?」

「そう」

これは試験みたいなもの。この業界の現実を理解しているかしていないか、私が初めてあった人たちに聞いていることだった。トキヤにも、薫くんにも、秋にも、高樹さんにだって聞いたことある。
トキヤはいった。

ーー私は自分の限界をしりたいーー

薫くんはいった。

ーー俺はただみんなと一緒にいたいだけーー

秋と高樹さんは明確なことは教えてくれたなかった。だけど共通しているのがみんな自分のためにその仕事をしているということ。そして実際に彼らは業界で生き残ってきている。

「そうだなぁ。俺はみんなを笑顔にできるアイドルになりたいな!」

「...そっか」

「立派な夢だね」といったのは本心ではないことは自分がよくわかっている。だけど顔には絶対に出さなかった。
ーーその優しさは逃げ道になる
中途半端なプライドは自滅に、中途半端な自身も破滅に、中途半端な優しさは仲間を傷つける。人は誰かを犠牲にしてしか生きられないというのに、“みんな”を笑顔にすることなんてできるわけがない。音也くんが、彼らのグループが輝くために何個のグループが、アイドルが闇に消えるのだろうか。

「ナツメちゃんはどんな女優になりたいの?」

「歌手だよ」

「へ?」

「私。女優業で有名になったけど、歌手なんだ」

「ええーーー!?」

音也くんの反応は新鮮だった。だけど同時に胸が苦しくもなった。私はやっぱり大勢の一人でしかない。

「今度久しぶりに新曲もだすの。よかったら聞いてね」

「もちろんだよ!俺たちの曲がでたらナツメちゃんも聞いてくれる?」

「ST☆RISHでしょ?楽しみにしてるね!」

嬉しそうに笑った音也くんは笑えていない私にきっと気づいてない。彼の世界はあまりに狭い。そして精神はまだ幼いと思った。
私は音也くんが一年後も、もしかしたら半年後、こうして自分に笑顔を向けていると思えなかった。デビューして、「これからよろしくお願いします」と何人ものアイドルとてを繋いだ。言葉を交わした。だけど“二度目”がきた回数はその半分にも満たなかった。

ーーアイドルは夢をうるーー

そのアイドルが夢ではなく自身の苦しみ、絶望を売り出したらこの世界はどうなるのだろうか。お茶うけに手をつけない音也くんを見かねたのか店長が出してくれた“甘くない”チョコレートを頬張る音也くんをみて思った。

「あれ、」

「ナツメちゃん?」

「...どうしよう」

このとき音也くんが追いかけてみたら?といったら、確かめてみたら?といったら私はその通りにしたのだろうか。
ーーいくらなんでも...犯罪じゃない?

「いいの。ちょっと見間違えしちゃった」

変装もしていない。だから距離があってもその背中を見間違えるはずはなかった。遠ざかっていく心也くんと中学生くらいの女の子の背中をみて私はため息をつくかわりにチョコレートを噛み砕いた。

「にが...、」

その味は私には苦すぎた。目の前でやっぱり音也くんがわらっていた。
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