愛と嘘と白紙の台本

□第一話 音はまるで雨のように降ってくる
2ページ/3ページ


世の中には常にニュースが溢れている。たとえば今この瞬間にだって誰かが死に、誰かが生まれてる。それだって立派なニュースだ。もしかしたらこの瞬間にどこかの国で動物が殺されたかもしれない。熱いコーヒーがこぼれて誰かがやけどしたかもしれない。
何一つとしてくだらないものはない。だけどそれが大衆の耳に入らないのは“大衆にとって”どうでもいいことだから、だ。たとえば殺されたのが有名人だったら、生まれたのが有名人の子供だったら、それは人々の関心を引く。テレビは嬉々として取り上げるはずだ。

「ねぇ、コーヒーが呑みたい」

「この辺にカフェなんてない。我慢してくれ」

「別にスタバがいいとか言ってないし。缶コーヒーが呑みたい。買ってくるから車とめて」

“茉莉、失恋歌発売!!その真意は!?”、と。大々的にスキャンダルをとりあげた女性雑誌を投げ捨てた。「ごみはゴミ箱にいれろ」といった冬子狼に「まだゴミじゃない」といい、ポケットに押し込んであったサングラスをかけた。視界が茶色に染まり、ますますコーヒーが飲みたくなってくる。
スピードを落とした車のドアに手をかけた私の名前を冬子狼が呼んだ。

「俺がいってくるから、中にいろよ」

「別にいい。冬子狼の分も買ってきてあげるから中にいて」

前から聞こえてきたため息は聞こえないふりをした。外にでた途端風に吹かれて視界を遮った髪を掻きあげ、四月にしては冷たい空気を吸い込んだ。
歌を歌おうと思った。だけどその気は自動販売機の前にたたずむ男の後ろ姿をみて失せた。一度も染めたことないニート感満載な黒髪、それ以外着ているところの見たことないフードつきのパーカーコート、黒いショートブーツにショルダーバッグ。見間違えるはずがなかった。
自動販売機のアクリルケースにうつる顔は今にも泣きそうで、振り向いた顔もやっぱり泣きそうだった。

「...欲求不満って顔してる」

「完全に今ちがうこと言おうとしたよね」

「気のせいじゃない?とうとう頭の中まで豆腐になったわけアキ、」

「相変わらず心痛。僕、失恋したばっかりなんですけど」

ガコン、と音を鳴らしたのは自動販売機だった。かがんだアキが取り出したのはミルクセーキとかかれた缶コーヒーだった。「それ、甘ったるいだけだと思うんだけど」といった私にアキは「僕はおこさまなので」という。
少しだけ横にずれたアキの隣に並ぶようにして私も手荷物小銭を自動販売機の中に入れた。だけど光ったボタンを押したのは私の指ではなかった。

「私コーヒー買いにきたんだけど」

「欲求不満なのはどっちかな」

「歳のわりに盛ってる男って、女に好かれるんだって。知ってた?」

アキが取り出したのは彼の手にある缶と同じデザインの描かれた缶だった。見る人がみればただの“ミルクセーキ”だ。だけど見る人がみればそれはただの“ミルクセーキ”ではない。白くて甘い飲み物を連想する人。白くても苦く、本来飲み物ではない排出物を連想する人。はたしてどうみえるほうが頭が正常なのだろうか。
私は後者だ。そしてアキも後者に違いない。肩に置かれた手は痛くも重くもないけど、無感情なわけでもない。

「気づいてるならさ、相手してよ」

「それは当て付け?それとも仕事?」

「どうあって欲しい」

振り向いた私に振ってきたのはタバコの味のするキスだった。だけどそこに特別な感情は存在しない。
一人の男としての“秋”ではなく作曲家の“アキ”を私は呼ぶ。それが私の答えで、私たちの境界線だ。

「愛情のないキスなんて嬉しくない」

「キスしたほうがその気になるって聞いたんだけど」

「それは誰?」

って、聞いたほうがいい?ーー
そういった私の後頭部をアキは押さえつけた。彼が行為前にかかわらずキスを好むことを鼻で息をしながら思い出した。
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ