愛と嘘と白紙の台本

□第六話 腹を空かせた蝶は時に天敵である蜘蛛すら餌と見る
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基本的に新人は好きだ。自分の後輩になるわけだし、それが可愛い子であるならなおさら嬉しい。
人付き合いは得意な方だし、たいてい新人のほうから私によってくることが多い。だから消えていく彼らをいやというほど見てきたし、歌を聴けば、演技をみればどのくらい“もつ”のか、いつの間にかわかるようになっていた。
かといってやっぱり自分から新人の家にいってケアをしようとは思わないし、そんな面倒くさいことはいくら高樹さんに頼まれてもやってやらない。そう思ってたのに偶然に偶然が重なったこの結果に私も、私の中の私もそろってため息をついた。

「どうぞ」

「と...ありがとう、ございます...?」

目の前に出されたきゅうりと日本茶に「さすが八百屋さん、」と言わずにはいられなかった。口をつけてみれば日本茶はちょうどいい濃さだし、きゅうりは歯ごたえ抜群でかなり美味しい。めちゃくちゃ見てくるマッシュとその父に素直に感想を言えば揃って目を輝かされ今度は反応に困ってしまう。
マッシュの家はお世辞にも“豪勢な”とは言えなかった。こじんまりとしたリビングに隣接したお店とリビングのすぐ脇には二階へ繋がる階段。キッチンはリビングに設置されてるといってもいい。だけど年期のはいってるいい味のある家だと思う。

「む、娘がおせわになっ...なってます!」

「こちらこそ。可愛い後輩に癒されてます」

ここは営業スマイルを貫くべきだろうか。深々、と頭を下げられなんだか今日は困ってばかりだと思った。
もともと気分的に秋を訪ねにこっちに出てきたというのにまさか秋ではなくその延長線上にいる彼女の家に上がり込むことになるとは自分の家を出たときの私には想像できないことだった。
ーーというか同じ地区に住んでるとか、知らないよ
パリパリ、ときゅうりをかみ砕きながら呼ばれて仕事場に戻っていくマッシュのお父さんの背中を見送った。五年前にこの世からいなくなった父親もあんなふうに楽しそうな背中を私たちに向けて仕事に向かっていただろうか。思い出そうとしてもその姿は浮かんでこない。
父は仕事人間だった。だけどそれなりに私と母を愛してくれていたし、芸能界に身を置く私を支えようとしてくれていた。もし母が病弱で、父が母にかかりっきりでなければ私はもっと父という存在を愛することができていただろうか。

「もしかして、ナツメさんもこの辺に?」

「住んでないよ。だけどあ...、と。知り合いに会いに来たの」

秋に、と言おうとして高樹さんの顔が浮かんだ。それに下手に突っ込まれて説明するのも面倒くさかった。本人の問題は本人同士で解決するのが一番だと小さい子どもでもわかる。

「マッシュは心也くんのプロデュースでデビューするんだよね」

「はい。そう、約束しました」

「自信の無さそうな顔」

「そんなこと!!」

ダンッと机に手をついて立ち上がったマッシュに私はドラマなんかで悪役が“お手上げだ”というときに必ずといっていいほどやるポーズを決めて見せた。揺れているマッシュの瞳はどんな私を写しているのだろうか。私からみたマッシュは不安の固まりそのものだ。

「私...高樹さんにいわれたんです。天才、見つけちゃった...て」

「そっか」

「だけど高樹さんのことば...きっと本心なんかじゃない」

心底嫌気が差した。それはマッシュに茉莉ちゃんと同じ言葉をかけた高樹さんにでも、私なんかに弱音を吐くマッシュでもなく、マッシュにも、茉莉ちゃんにもかけた言葉を一度だってかけてもらったことのない自分の才能のなさにだ。そしてやっぱり崩れそうな人を放っておけない自分自身にだった。

「マッシュ」

「はい...、」

「...それ、癖でしょ」

「っへ...と、何がですか?」

「すぐに返事すること。学生って感じする」

「ナツメさんは学生、じゃないんですか?」

「私は普通の生活を望まなかったから」

マッシュの頭上クエスチョンマークが浮かんでいるのを見て見ぬふりをした。これもあまり突っ込まれたくない私の本心。だけどいつも少しだけ覗かせるのは心のどこかでその心に触れてほしいと願っているからだとわかっている。

「マッシュは心也くんのこと、必要としてあげて。信じてあげて」

「ナツメさん...?」

「プロデューサーは歌手の生命線だから」

それはお前の本心じゃないだろ、と。私の中の私が叫び声をあげた。マッシュはわかっていないのか、ふりなのか、本当にバカなのか、「はい!」と今度は少しだけ間をあけてから返事をした。
私には秋はいらない。少し前まで秋は茉莉ちゃんのものだった。そして今は目の前のマッシュのものだという。だけど私から、瞬くんたちから、アキという作曲家を取らないで欲しかった。これ以上失いたくない、大切な誰かが失い嘆く姿を見たくない、そう心が叫んでいた。
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