愛と嘘と白紙の台本

□第五話 蛾は蝶をみてその格差に唖然とする
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正直な話、本当の私は秋以上に分かりやすい女の子だったりする。すぐに顔に出るし、気にくわないことには口を出さずにはいられない。新人いびりなんてもっての他。正当法で勝ちにいかない人がなにより嫌いだ。
期限がよければ鼻唄を歌いたくなる。悲しいときは大声で歌いたくなる。辛いときは泣き叫びたくなる。悩んでるときはピアノを弾きたくなる。

ーーお前本来の天真爛漫さはいつか破滅を呼ぶぞーー

私はこの業界が好きだった。できることなら死ぬまでここにいたかった。
ーーだから私は選んだの
“ナツメ”は天真爛漫な女の子だ。だけど彼女はすぐにその感情を忘れてしまう。基本は見て見ぬふり。生きることを楽しむ女の子。
“夏瑪”と“ナツメ”は同じようで全く違う。だけど夏瑪も“ナツメ”演じているのは私だ。愛すべき人格だった。

「ナツメさん入ります!」

「よろしくお願いしまーす。あ、船橋さん!」

笑顔で監督、船橋さんに駆け寄って彼のしっかりとした手を握った。高樹さんにはまけるけど彼もなかなかいい“おじさま”顔をしていると思う。「船橋さんの作品にまた出させてもらえてうれしいです」と特別な笑顔をつくれば「夏瑪にオファーできてよかったよ。今回もよろしくね」とすべてにおいて厳しいと噂の監督の笑顔を頂戴できた。何度か関係を結んだことがあるだけあって、船橋さんの私に対する演技以外の対応はかなり柔らかい。
船橋さんから離れ、カメラマンにアシスタント、スタッフ陣にも忘れずに笑顔を振り撒いた。媚びをうって、私という存在を確実にその人の中に残す。中堅女優の私がやるべきことは何かと多い。

「これ差し入れです。皆さんで食べてくださいね!昨日作ってみたんですー!」

「相変わらずよくやるな」

「だまって冬子狼。クビにするよ」

「残念ながら俺の解雇にはあいつのサインがいるぞ」

「泣き落とす」

「怖いね」

お手上げだ、と言わんばかりの顔で手を耳の横に持ち上げた冬子狼から顔を反らし、昨日の夜にせっせと準備したナッツブラウニーを詰めた箱を簡易テーブルの上に置いた。何かと紙に触れることの多い職場のことを考えて持ち手になるところには銀紙が巻いてある。

「はい、冬子狼の分」

「は?」

「は?...じゃなくて。いつものお礼」

紙袋の奥から取り出したのはテーブルに出したものとは違う、ちゃんと包装してある可愛らしい箱だ。くまのイラストなんて冬子狼にはあまりにも似合わないと思った。たけど立ち寄ったお店には彼に似合うチーターのイラストは売っていなかった。
嬉しいんだか嬉しくないんだかわからない顔で受け取った冬子狼の足を踏みつけ、奥でうつむいている藍くんに近づいた。難しい顔で固まり、上下しない胸に少しだけ不安を覚えた。その不安を煽るかのように二回呼び掛けても返事はない。

「藍くん!」

「なに?少し心拍数高いんじゃない?」

「っ...気の、せいだよ」

「ナツメ?」

「なんでもない!」

勢いよくスプリングのきいたソファーに座ったせいで私の身体は二回バウンドしてからようやくクッションにお尻を落ち着けた。その間も藍くんは涼しい顔をしていて、私一人が馬鹿しているようにしか思えない。

「ブラウニーをね、昨日焼いたの。もちろん台詞覚えながらね」

「そう」

「よかったら藍くんも食べてね」

「マメだよね、ナツメって」

「ありがと」

「意外と」と付け加えられた言葉に落胆はしなかった。むしろ自分のつくるキャラが他人のなかに定着していることに安堵している自分がいる。
自分がまだ衣装に着替えてなかったことを思い出したのはそれからすぐだった。衣装さんに呼ばれ、立ち上がった私の背後でもう衣装を着ている藍くんがまた目を閉じた。

「今行きまーす!」

ドラマの撮影は別に珍しくない。なにより最近の私の仕事は女優業がほとんどだ。だけどやっぱり、と思ってしまう。

ーー私も歌、歌いたいなぁーー

思いだし、反響した自分の言葉を頭かぶり一つで追いやった。私は簡単に捨てられてしまう駒だ。だからこそもらった仕事は完璧にこなさなければならない。
大きな鏡の前に置かれた椅子に促されて座り、浮かない顔の自分にそっと笑いかけた。つもりだった。
ーー大丈夫、あなたは“女優”なんだから
だけど厚ぼったい唇は不満げにとがったまま横に弧をかくことはなかった。
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