愛と嘘と白紙の台本

□第四話 蛹には死ぬか蝶になるしか選択肢はない
1ページ/3ページ


人はだれしも一度は天才になりたいと考えたことがあるはずだ。だけど天才はきっと凡人になりたいと思ったことがあるはずだ。人は自分にないものを求めてしまう。たとえそれが自分を破滅させるものだとしても、それを求めずにはいられない。
あまりに愚かな考えだ。それでもそれが人間であるための条件のように私は感じる。
なら私はなんなのだろうか。そもそもどこまでを凡人に部類して、どこからを天才に部類するのだろう。
アキは間違いなく天才だ。高樹さんも、茉莉ちゃんも、藍くんやあのトキヤだって天才に部類される人間だと思う。なら薫くんや哲平くん、瞬くんはどこに入るのだろうか。アーティストなのに弾かせてもらえない。実力を本当の意味で認めてもらえない。やっていることは“凡人”となにも変わらない。

「...あれは」

一度見たことがあるだけだった。だけど私は彼を覚えていた。そもそもあそこまで綺麗な赤い髪を忘れろというほうが無理がある。
近づく私という存在にギターに釘付けになる彼、音也くんはまだ気づいていない。あと五メートル、四、三メートルまで近づくと彼が見ているものがよく見えた。
ーーたしか瞬くんが持ってるギターだ
音也くんもギターを弾くのだろうか。ショーウィンドーにうつる彼の目はこの間とは違う色を点して輝いていて、ガラスごしに私はその瞳に吸い込まれそうになった。

「一十木音也くんですか?」

「うわ!?」

肩を飛び上がらせて驚き、私の姿をみるなり“やばい”という顔をした音也くんは完全に私に気づいていなかった。とはいえサングラス姿の私をみるのを彼は初めてだ。自分のオーラのなさに少しだけショックをうけながらも額から汗をかきそうな彼の目の前でサングラスに手をかけた。

「こんにちは、音也くん」

「っナツメちゃん!びっくりしたー...、」

「変装もしないでこんな街中。危険だよ?」

「あはは。俺、まだナツメちゃんみたいに有名じゃないから大丈夫だよ!」

ニカッと笑った音也くんに感じるこれは苛立ちだろうか。彼はまだこの業界にはいって日が浅い。だけど私は確実に彼が大物になる気がした。自分にはないオーラ、それが彼にはある。
ーー羨ましい
私はサングラスをかけ直し、辺りを見回した。この辺りの地形は大体把握している。パパラッチが多い所も、美味しいお店も、可愛い服屋も、人があんまりこない場所も、ホテルだって知っている。

「音也くんさ、これから少し時間ある?」

「え?あ、あるけど...、」

「少し話さない?」

音也くんは驚いたように目を見開き、私を見つめたまま頷いた。

ーー夏瑪、お前の目は特別だーー

今さら高樹さんの言葉を思い出してどうなるというのか。埋もれて消えるはずだった私を見つけてくれたのは彼なのに、裏切ったのは私だ。それにあの言葉は所詮あの人が私という道具を手にいれるためにささやいた言葉のひとつに過ぎない。そうわかっているのにその言葉にすがろうとしている私はただのばかだ。

「苦し...、」

「ナツメちゃん?どうかした?」

「ごめん音也くん、ちょっとまって」

少しだけ先にいった音也くんが戻ってくるのを気配で感じた。だけど私の頭の中にあるのは浮かんだ言葉たちを目に見える形に変えようということだけだった。道の真ん中にいることすらどうでもいいくらい私の頭には言葉が溢れかえっていた。
もしも秋にとってこの世界が音楽で溢れているのだとしたら、私にとってはこの世界は言葉で溢れている。世界というキャンパスにこの世界にいきる全ての人間が言葉で色を塗りたくっていく。その言葉を繋げて私はさらにひとつの作品を描いていく。この快感に気づいた日から私は言葉の虜になった。自ら望んで言葉の鎖に繋がれることを選んだ。
私がペンをメモ帳に走り書きしている間、音也くんはずっと私の手元を見つめていた。それが少しだけくすぐったくて、風に吹かれて音也くんの髪が私の額を擦ったときには私は本当にくしゃみをした。

「...ごめんね」

「だいじぇっくしょい!」

顔をあげた私の髪の毛が音也くんの鼻をさすっていた。大きなくしゃみをした音也くんに私は“営業スマイル”ではなく本心から笑っていた。
ーーああ、まただ
言葉の欠片で埋まったメモ帳のページを後ろに送り、私は真っ白なページを出した。そこにペンをつけると“太陽”、“飛び出す光の道”、“誰のもとへも届く果てしない温もりのように”と書き足した。

「だめ」

「ええーー!?いいじゃん!ね、ちょっとだけ!」

「だーめ。企業秘密です」

音也くんの唇につけた人差し指をゆっくりと自分に近づけ、その指を今度は自分の唇にあてた。塗りつけたグロスが指を濡らして輝かせた。
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ