愛と嘘と白紙の台本

□第二話 鳥は対の翼がなければ飛ぶことはできない
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私が家に帰ったのは翌日の朝だった。家から少し離れた路地にタクシーを止め、家に続く裏道を歩いた。よほど頭のたりない人でないかぎり、この手はよく芸能人が使うものだった。タクシーの運転手だっていくら守秘義務が化せられてるとはいえ人間だ。噂が噂をよんで家の場所を特定されるなんて真っ平ごめんだ。自分の平穏な暮らしは自分で守らなければいけない。
トキヤとの約束は今日の夜だった。それまで私は熱く焚いたお風呂に入り、ちょっと剥がれてたネイルを直して、自分の出てるテレビ番組の録画をみて過ごした。
自分チェックも大切な仕事のひとつだと私は思っている。笑いかた、話し方、仕草。ちょっとしたひとつが自分の人生の明暗をわけてしまう。
ノートに思ったことを書き込み、ちょうどそれが五ページになった時、私はテレビとノートから顔を上げた。
あの人との待ち合わせまでもう二時間まで迫っている。
リモコンで電源を落とし、用意しておいたワンピースに袖を落とした。そのワンピースはさっきまでテレビの中にいた私が来ていたゴシック調のワンピースとまったく同じものだった。みんなのイメージこそが女優“ナツメ”じゃないといけない。
会うのはただの幼馴染みじゃないか、という心の自分を無視し、しっかりメイクをしてから家を出た。もちろんサングラスは欠かせない。
待ち合わせ場所まで冬子狼に送ってもらうことだって、普通にタクシーを呼ぶことだってできた。だけど何となく、少し寒い春の夜を歩きたかった。
待ち合わせは美味しいのにあまり人に知られてない小さなお店だ。知られてない理由として外見がお世辞にも“おしゃれ”でないからかもしれないと思う。

「...もしかして、一ノ瀬トキヤですか?」

幼馴染み、トキヤはすぐに見つかった。サングラスをかけて、パーカーにジーパンというラフな格好にも関わらず、何やらオーラーが発されている。
声音を変えて声を掛ければトキヤは見事にサングラスの下でまずい、という顔をして振り返り、私の姿を見たとたんに肩の力を抜いた。「驚かさないでください」と私を睨み付けてくるトキヤに「驚いちゃって、かーわいー」といえば細い指で額を弾かれる。

「可愛いと言われて喜ぶ男はいませんよ」

「ハヤトなら、喜ぶと思うけど」

「彼はもういませんので」

何をいっても言われても、にこにこ笑顔のアイドルHAYATO。金の亡者である大人たちによって作られてしまったアイドルはもうどこにもいない。魔法をかけられた“人形-かれ-”は自分の意思を持つことを知り、本来の姿を取り戻した。まだ数ヵ月前の話だ。
手を差し出され、そこにそっと指先を添えた。トキヤにエスコートされて入った店内は相変わらず外見に似合わずキラキラと可愛らしく輝いている。外観ももう少しきれいにすれば絶対に人気が出るというのに、なんとももったいないお店だ。とはいえそのお陰で自分は人目を気にすることなく来ることができるわけだけれど。

「ご予約ありがとうございます。お待ちしておりました、市川様」

「市かーー...ったい!!」

聞いたことのない名前に声を上げた私は別の意味でも声を上げた。私の右足の上にはトキヤの靴のかかとが乗っている。その張本人はといえば店長に向けて無表情にみえる顔で頭を下げている。
市川はたぶんじゃなくても彼の偽名だ。だけど何故市川なのだろうか。別に長谷川でも藤堂でもなんでもよかったはずだ。

「ちょうど予約する前に歌舞伎のニュースをみたので、」

「...ああ、だから市川ね」

「ええ」

「私、人間国宝にはなりたくないな」

「何故です」

「ものとして、ではなく人として死にたいから、かな」

「貴女らしいですね」

知らないひとに「この人があのハヤトなんだよ」いったら十中八九で「嘘だ!」という答えが帰ってきそうなほどトキヤは大人しくて、礼儀正しくて、いつだって冷静な“ふり”をしている。
大人の欲がHAYATOという彼とは真反対のアイドルをトキヤに演じさせ、あと少しでトキヤを壊すとこだった。だけどそんなのも今では懐かしい思いで話だ。

「仕事どう?スターリッシュとしての一歩は」

「そこそこ、といった所でしょうか」

「とかいって。ちゃっかりドラマ主演でしょ?駆け出しアイドルなのに」

「ハヤトの影響かな」と、運ばれてきた水の入ったコップに口をつけていった私にトキヤは酸っぱいような、なんともいえない顔をする。もちろん私は彼がそんな顔をするとわかっていて言っている。
トキヤは「“ハヤト”を脱ぎ捨てたアイドル」というレッテルの貼られている自分にコンプレックスを感じている。だけどそのレッテルに助けられて同じグループの誰よりも仕事をもらえている。

「けど、うらやまさいなぁグループ。私もグループに入ってみたい」

「社長に頼んでみてはいかがです」

「トキヤのとこの社長みたいに誰もが優しくないんだ」

笑った私にトキヤは「結局は面倒くさいのでは」と言う。流した私にトキヤはため息をつき、注文を取りに来た店員に二人分の料理を頼んだ。私たちが頼むものは決まっている。
だてに私たちは幼馴染みをやっていない。お互いのことはきっと誰よりもわかっている。きっと薫くんよりもトキヤは私のことを知っている。

「夏瑪こそドラマの主演、おめでとうございます」

「ありがとう。放送したら見てくれる?」

「録画します」

「じゃあ頑張らなくちゃね」

料理が運ばれてきて、私たちの会話は途切れてしまった。トキヤの前には有機野菜の雑穀米ドリアが。私の前には湯気と肉汁をはねあげるステーキと雑穀米が運ばれた。

「ねえトキヤ」

「なんですか」

スプーンにのせたドリアを口許で止めたトキヤをみて、私は言葉を飲み込んだ。「やっぱなんでもなーい」といった私にトキヤは眉をよせ、それでもなにも言わなかった。
ーー急に“好き”って言いたくなった、なんて。ね
眉を寄せたまま手を進めていくトキヤに声を出すことなく笑い、私もステーキにフォークとナイフを突き刺した。溢れだした肉汁にお腹が鳴ったのは条件反射のようだと思った。
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