私は何ものにもなれない

□第二話 うしろのしょうめんだぁれ?
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どれくらいそれを眺めていたのか。私は小さな輝きをいくつも放つ暗い空から目を反らした。
いつ、どの世界も空だけは綺麗だ。空は人の心のように汚れをしらない。悲しみを知らない。憂いも、苦しみも、憎しみも知らない。だけど喜びも、安堵も知らない。ただひたすら自分の下で“生”を与えられたものを見守り包みこんでいる。
ある人は「空こそが我々神を創ったのだ」と言った。その彼は私の父だった。もちろん過去形だ。“今の”私にとって彼は父ではない。
それでも目を閉じればかつての父のことも、友人のことも、恋人のことも思いだせた。この世界にいない彼らはきっと空にいて、あの輝く光なのだろうと信じて私は空を見上げ続けている。この世界に私を連れてきてくれたのも彼らなのだろう、と。
こうして一人でいると遠い昔まで思いだすことが出来た。
私には過去がある、といえば語弊が生まれてしまう。その記憶はこの世界での過去ではなく、私が“女神”だった世界の記憶だ。
その世界で私は世界のために殺された。だけど私はこの世界に生を受けた。物心ついたころには自分が“女神”だったことを理解していた。
動揺はなかった。そうか、とただ淡々と思った。
新しく生を受けた世界で出会った彼らはあの世界の人々のように私を拒絶しなかった。私も彼らを拒絶しなかった。
だけど彼は死に、彼と彼女は壊れてしまった。彼もきっと壊れてしまうだろう。私はまた一人になってしまうのだろうか――否、私は今すでに一人ぼっちだ。

「見ねぇと思ったらこんなとこにいたのかよ」

「どこにいようと私の勝手」

「まあそう急ぐな」

横を通り抜けようとした私の腕を女、ユミルは掴んだ。彼女の手を力づくで振り払う力が自分にはないことを既に知っている私は高台の床板に座りこんだユミルの隣に腰かけた。
すると目の前に水筒と何やら膨らんだナプキンが差し出され、二つはユミルの手を離れると私の膝の上に落下した。「なにこれ」と言いユミルを見れば、彼女は水筒の中身を身体に流しこんでる最中で、膝の上には少量の肉と野菜が申し分程度に挟まったパンとその下にナプキンが敷かれている。
食えよ、と言わんばかりにユミルは私の膝の上に収まった水筒とナプキンを顎で差し、自分も水筒を置くと今度はパンを口に運んだ。

「また何か私に望んでるの?先に言っとくけど私、何もしないから」

「おーおー、相変わらず愛想ねえな」

「あなたには言われたくない」

「そりゃそうだろうよ。だが私は正直者なだけだ」

「……どうだか」

からからと笑うユミルから目を反らすと私はナプキンの結び目を解いた。中からはユミルが食べているサンドイッチと同じものが出てきて、忘れていた空腹感が少しだけ呼び覚ませた。
サンドイッチのパンはいつもと変わらずパサパサしていた。それでも中に具があるかないかでずいぶん味が変わる気がする。だけどやっぱりパサパサしていることに変わりはなく何度か咀嚼して飲み込んだ私は水筒の中身を煽った。

「なんで顔も出さなかったんだよ」

ユミルが何に、と言わなくても私にはそれが何のことかすぐに理解できた。「別に、関係ない」といえばユミルは「クリスタが心配してんだよ」という。
それを聞いた途端ユミルがその質問をした理由を理解した。“ユミル自身”が彼女の意思でわざわざ私の心配をすることは巨人が人間を愛するくらいにありえない。
ユミルという人間はクリスタのためならきっとどんなことでも出来るのだろう。その理由はわからない。だけどそれこそが彼女の強さで、同時に弱さだと思う。

「別に別れを惜しむ相手、いないから」

ユミルを見ることなくいえば「お前友達いないもんな」なユミルが笑う。
私には友達といえる友達がいない。だけど別に人付き合いが苦手なわけでも周りから忌み嫌われているわけでもない。
ただ私は馴れ合いたくなかった。いつか自分が傷つかないように、罪悪感に苛まれないように。所詮私は自分が一番可愛い自分勝手な女だ。

「けど、感謝してんだぜ?」

「……は?ユミルが」

「なんだよその言い方は」

やっぱり私は「別に」と答えていた。その言い方は本当に素っ気なく、多くの同期訓練兵は最初の数週間で私の“友人”地位を諦めた。私にとってもそれは好都合だった。
だけど飽きずに話しかけてくる人間もいた。ユミルもその一人だった。そしてユミルは言った。
――協力して欲しい
と。

「お前がいろいろ手を貸してくれたおかげであいつは10番に入れた。今日のはお礼だ」

ありがとな、と頭の上にのせられたユミルの手を振り払う。が、「照れんなよ」と意地悪く笑ったユミルに頭を撫で回されてしまう。いつもなら結んでいる髪はまるで小鳥の巣状態のような悲惨な姿に成り果てた。

「最悪」

髪に手をあてればぐしゃぐしゃに絡まってるのがわかる。

「似合ってんぜ」

「嬉しくない」

ため息を吐けば今度はただユミルの手が頭にのせられた。今度は何の用だ、と目線だけをあげればどこか優しげな表情をしたユミルと目があった。

「9番おめでとうテヨン」

「……別に」

ユミルは「素直じゃねえなあ」と笑うとやっぱり私の髪をぐちゃぐちゃにした。
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