審神者

□君の声を聴かせて
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審神者夢

長い長い石階段を登りきって朱色の大鳥居をくぐった先
色に例えるなら落ち着いた浅葱、萌黄
静かな空気が満ちているその地域ではある程度名のある神社

神事をやっていなければ大抵境内の掃除かお守り売り場の店番をしているもの静かな巫女である祖母が笑いかけてくれる

それが私の祖母の家

小さい頃から祖母の家に行くと祖母だけしか住んでいないのに賑やかだった
誰も居ないはずの神社の社には奉納された白木の拵えの長い長い大太刀が一振り

そして樹齢が百を超える御神木と賽銭箱に狛犬

長い時間と歴史を重ねたであるが故に聞こえる〈物の声〉
付喪神の声が幼い頃から私には聞こえていたのだ

「美摘ー?何処にいるのー?」

ふと、長い石階段を登り疲れて家で一休んでいた母の幼い自分を呼ぶ声がした

振り返ると汗で滲んでいた化粧が整えられて登る時に履いていたかかとの低いパンプスから華美なヒールを履いている
登る時はいつも「この階段が嫌なのよね」とぶつぶつ言っている母がいつもの格好になっていた

「やあだ、あなたまた社にいたの?」

こんな何もない所に、と閉じきってない社の戸に気付いて自分の娘である私を見つけた母は少し呆れたように呟く
携帯、テレビの電子機器も無ければ娯楽の一つもない社になぜ私が留まっている意味がわからないのだろう

だから私は質問に答える

『お話、してたの』
聞かれたから正直に答える私
都会にある私の家ではまず聞こえてこない長い長い歴史の中を生きてきた彼らの姿なき声
その声達は私に色々な事を教えてくれる

絵本には書いてない遠い昔のお話
近くの裏林にある木の実の群生している場所
倉の鍵の開け方
何より祖母の仕事について

彼らの生い立ちを含めて知らなかった多くの事を教えてくれる
それが私にはとても楽しい事だけど、そう答えると決まって母は眉を顰めて私の手を強く引いて祖母の所に連れて行ってしまう



「お母さん?お母さん‼︎」
「なあに?騒々しいわよ」
「お母さん‼︎この子のお祓いしてちょうだい‼︎‼︎」
「まずはあなたが美摘を離しなさい、可哀想に引き摺られて」

母に引かれる力が強くて半分引き摺られる様にして祖母の居る場所まで連れて行かれるとするりと腕を解かれる
母の細い腕からはイメージ出来ない様な強さはまるで何かを否定したい思いが込められている様で私の手首がジンジンとしていた

「だって...!!!この子ったらまた何もない所で話していたって‼︎」
「あら、良いじゃない〈声〉が聞こえるのは素敵な事よ?」
「お母さん‼︎そんな悠長な事言わないで‼︎」

幼稚園の友達にもち美摘ゃんのママは綺麗だね、と言われる事も多いし実際微笑む母は綺麗だけど何故だか自分の生まれたこの家に来る時は顔を歪ませる場面を多く見られた
もっともこの時の私はまだ5歳
私が生まれる前はどうだったのか話を聞いたことがないから常に顔を歪めて生活していたかはわからない

「物の声?馬鹿馬鹿しい...!!!だってそんなの気味が「美子」...っ!!!!」

祖母に遮られた母は私がいる事を再認識したのか貼り付けた様な笑顔を向ける

「...おばあちゃんにお祓いの準備してもらうわ...美摘はいい子だから居間で待ってなさい」

こくり、とうなづいて退室し障子を閉める
長い廊下を歩いて行くともうすぐ居間が見えてくる
その時だ

「だって...気味が悪いじゃない‼︎声が聞こえるなんて‼︎」
「美子、母親のあなたがそんなに声を荒げないの
美摘に聞こえるでしょう」
「あの子は声が聞こえることがどんなに気味が悪いかわからないのよ‼︎?」


遠くからでもわかる
母が私の声が聞こえるこの耳を気持ち悪がっている事も
母が時々面を被った偽物の様な笑顔を自分に向ける事も

『......お話、楽しいのに...』

カラリと空けた広い居間には勿論誰も居なくて隅に膝を抱えて座り込んだ


ーーー......


「じゃあ、お母さんよろしく
美摘、いい?座ってじっとしてれば終わるからね」
『...はい』

笑ってはいても言葉の端々は淡々としている母が本殿の戸を閉めると巫女装束に身を包んだ祖母が入って来る

既に紙垂と縄で四角く囲われた中には焚かれた火が燃えている
所謂護摩焚きでのお祓いだ

お祓いの最中、いつも優しい祖母の背中しか見えないのが不安だった
まだ私が理解出来ない言葉を真剣に唱えている祖母が全くの別人に見える様でその頃の私はお祓いという言葉は好きになれなかったからだ

それでも言いつけ通りに座って入れたのは母の言いつけがあった事もあるが
優しく諭してくれたある存在のお陰もある

護摩焚きの焔の向こうにある奉納刀

〈大丈夫、ゆっくり深呼吸してごらん〉

きっとこの神社の中で一番の古株である彼が背中に手を添える様にして祖母が今何をしているのかを丁寧に教えてくれたから
暑い季節も寒い季節も長いお祓いも耐えられたと今でも思う



風のない本殿の中で祖母の言葉に合わせて揺らめく焔が生き物のように見えてお祓いの間はひたすら顔をうつむかせていた

そうすると決まって背中に添えられていた手の熱は撫でるように頭に移動する
煌々と燃えさかる護摩焚きの焔の熱とは対照的に柔らかく温かい熱だった
焔の向こうにはただ静かに奉納されている白木拵えの大太刀がただただ静かに座している

何でも大昔に鍛冶で作られて奉納されたのも憑き物を祓ったり祈祷には欠かせない大切な物らしい

石切丸ーー...そう姿なき奉納刀は私に名前を教えてくれたのだ


たっぷりとお祓いをしてもらった頃には握りしめていた掌の汗も冷たくなっていて日も傾き始めていた
戸の隙間から夕焼けを知らせる茜が差し込んでいる

「...ふう、これでいいわ」

燃え尽きた護摩焚きの焔の前では決まって祖母が護摩焚きの灰を片手盛り程集めて香袋と共に纏めてくれる
薄藤色の香袋を祖母が差し出すと以前のお祓いの時にもらった物を差し出す
すっかり香も薄れてしまった緋色の香袋を祖母が懐にしまうと膝をついて決まって言う

「私にはこんなお祓い必要ないと思うのに、美子は心配性よね
この灰見せれば安心するでしょうから文字通り誤魔化しちゃいなさい」

にこりと笑う祖母が言う言葉の意味がわからなかったけど石切丸が言うには昔高名なお坊さん(名前は聞いたけど忘れてしまった)の護摩焚きの灰だと偽って偽物が出回ったらしくそれが誤魔化す、の語源とも言われているらしいから文字通り、という事なのだろう
これも興味深い話だ

でも母はそれらが聞こえる私を気味悪がっている

『お母さんが言うみたいに...お話、聞かない方がいいの?』


物達との対話は時を忘れるくらい楽しいけれど母がするなと言うのなら
普通になれと言うのなら、近代化が進んだ街の生活に染まれば良いのだろう

この場所を離れれば100年以上経つ物はまずないから〈物の声〉は聞こえない

「美摘、美子に言われたからじゃなくてあなたがそうしたいならそうしなさい
もし〈物の声〉の事であの子が何か言ってきても大丈夫よ、私は味方だから

誰にでも聞こえる訳じゃない彼らの声に耳を傾け理解しようと歩み寄る事が出来るのはとても素晴らしい事よ」

目を細ませ幼い私に微笑みかける祖母はやはりいつもの優しい祖母のままで何度も救われてきた

「一番大事なのはあなたの気持ちよ、あなたはどうしたいの?」

『わたしは...』

少し言葉が途切れるどちらがいいのかと言うよりもそっちを選んでいいのだろうかとおどおどする気持ちを解消する様に指先で服を弄る


『みんなと、お話してたい』

ポツリと告げた言葉に祖母は満足そうに笑みを見せて優しく抱きしめておまじないだと言って額に軽い口づけを落としてくれた
振れたかどうかもわからない掠めるだけのもので合っても幼い頃から安心を与えられる度に施されていて反射的に心が軽くなる
まるで魔法の口づけだった
母もきっと幼い私の様に祖母に施されてきたのだろう、時々されたことがあるのを懐かしく感じる

「わかったわ、私も美摘が選んでくれて嬉しい」

自分のままでいてくれていいと言われることがどれぐらい嬉しい事か、残念ながら5歳の私では筆舌に尽くし難かったが大層嬉しいという事だけは覚えている

その後、お話は誰にでも聞こえる訳じゃないからする時は周囲に気をつける事と約束をして母の待つ母屋に走って行った
居間に飾ってある古い掛け軸が良いところで話を切り上げてしまい続きが気になっていたのだ


駆け出していった小さい背中を見送る祖母の横にフッと突然姿が現れる

〈本当に、美摘にするのかい?〉

お祓いの時と変わらない落ち着いた声だがその主の顔は少し険しい

「仕方がないわ、残念だけど美子には資質が無かったし私の力もそろそろ限界がきている
情けないけれど付喪神であるあなたの姿を碌に具現化することも難しくなってきている始末よ」

〈僕は気にしてないよ、美摘と話が出来るからね〉

申し訳なさそうに目を伏す老いた巫女の背中に手を添えようとしたその時

〈っ...!!〉

手が、彼女の背中をすり抜けてしまい
僅かに肩を揺らす
少女の時には出来たのに

「...ね?美摘の力を借りなきゃあなたと話も出来ないなんて審神者失格だわ...」
〈...主...〉

美摘が社を離れれば離れるほど力が弱まるのかその一言を最後に彼は物言わぬ奉納刀になってしまった

「ごめんなさいね、石切丸...」

(間違いなく美摘には苦労をかけてしまう
けれど歴史の改変を阻止する為にはこれしか手がない...)

「美摘に審神者の能力の継承を行うわ」

空の向こうには夕焼けの後から夜に空が染まろうとしていた
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