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□得手・不得手
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兵長がしびれを切らして、わたしの手首を痛いほどに掴んで、そうして二人で森の奥深くへと入っていく。
まるでドキドキな展開のようだけれど、いや、確実にドキドキな展開なのだけれど、期待するには程遠い、これはそんなドキドキなのだ。
「ほら、やれ」
「…はい」
わたしは立体起動装置を使い、今から3分以内に、巨人の模型5体のうなじを削がなければならない。
「だけど兵長、先に言っておきますが、わたし…」
「弱音を吐いた時点でテメェのうなじを削いでやる」
冗談らしからぬ冗談に、わたしは心底震え上がった。
3か月前、まだ訓練兵だった頃…兵長は食堂で、
『テメェを見てると胸くそ悪ぃんだよ』
と、そう言った。
そして顎を持ち上げられ、みんなの前で深い深いキスを食らってしまったのだ。
その意図は不明。言葉と態度が裏腹で何を考えているかわからない瞳に、わたしはただただ驚愕し、そして恐怖を覚えてしまった。
「早くやれ」
「はい…」
立体起動が苦手なわたしは、座学の成績に救われたのだろう、訓練兵卒業時に10位という成績をもらった。
それでも憲兵団に行かなかったのは、やはりこの兵長の存在が大きかった。
キスされたからではない。
単に、調査兵団に憧れていたからだ。
わたしは死ねと言われたら死ねる。痛い思いはもちろん嫌だけど。
守るものも守られるものもないわたしにとって、このちっぽけな能力は調査兵として使うべきだと判断したのだ。
「ナマエ・ミョウジ、行きます!」
とガスを噴かして宙を舞い、必死に頭を使いながら、最短時間での、そして最短距離での戦闘を試みる。
それでも、
「5分43秒だ」
「すみません」
「実戦なら喰われてるぞ」
「はぁ」
「死にてぇのか」
「それが命令なら」
「ナマエよ」
「…はい」
カチャリ、と兵長の持った剣がわたしの首に当てられた。
「死にてぇのなら今ここで俺が殺してやろう」
「それじゃ意味がないんです。何の役にも立ってない。何かの役に立つ命令なら、死んでもいいとは思いますけど」
「…クソが」
「兵長が思ってるほど、わたしは単純じゃありませんよ」
「座学の成績はあんなに桁外れなのに、残念な兵士だな」
首筋に当てられた剣がスッと離れた。
「ナマエ」
「はい」
「これから毎日、俺が立体起動を教えてやる」
「は、い?」
だって兵長お忙しいでしょ。そんなわたしの言葉は、またしても彼のキスによって阻まれてしまう。
「覚悟しとけよ」
「…お願いします」
一体何をお願いしているのやら。わたしは彼の読めない心に、またしても不安を募らせてしまう。
「あの」
「なんだ」
「キスの意味は、なんでしょう」
「自分で考えろクズ」
飴と鞭…な筈がない。むしろこれを飴だと考えるのは間違っている。
じゃあ兵長がキスの意味を履き違えている?例えば、巨人のように、捕食的な…
いや、それだって変な話だ。
「何ごちゃごちゃ言っている。さっさと帰るぞ」
「は、はい」
それから毎日、本当に彼による厳しい指導が始まった。
他の兵士はそれを羨ましがったりもしたが、わたしには苦痛以外のなにものでもなかった。
「これぐらいでなんてザマだ」
「…もう、無理ですっ」
「巨人に喰われてぇのなら勝手にしろ」
「兵長、わたし…」
ポロ、と涙が零れてしまった。やばい。
「ナマエ」
「すみません。泣いてません。頑張ります」
兵長が怖いとかそんな理由ではなく、ただ単に自分が恥ずかしかった。
立ち上がり、刃を装着し直した。
「ナマエ」
「もう一度やります」
「ナマエ!」
語気を荒げた兵長にビクリと肩が震えた。
「…もういい。今日はやめだ」
「………」
「ナマエ、死にたくないと言え」
「………」
「死ぬな」
と兵長があの日のように強く手首をつかむから、わたしの手から剣は落ちてしまった。
「いつ死んでもいいって面してると思ったら、本当にそんなつもりでいやがる。だから俺はテメェにイライラするんだ」
「すみません…」
「謝るなグズが。謝るくらいなら、死にたくないと言え。今すぐにだ」
「だけど…わたしには、生きたい理由がありません」
「だったら俺の為に生きろ」
兵長が何を言ったのかよくわからなかった。
「あの」
「二度も言わせるな」
「いえ、意味がわかりかねます」
「テメェが好きなんだよ、…クソが」
しばらくあんぐりと口を開いたまま兵長を見つめていると、彼はフイと目をそらした。
「わたしなんかが、兵長のお気に召して…ご迷惑では」
「知るか」
兵長も人間の感情を持ってるんだなぁと、なんだか笑いが込み上げてくる。
「兵長」
「…なんだ」
「キスして下さい」
兵長は無表情のまま、ゆっくりとわたしに近付いてキスをした。
「兵長は恋愛が苦手なんですか」
「テメェの立体起動と一緒にするな」
まだ何がなんだかよくわからないけど…こうして調査兵団で彼の為に死なない覚悟も、悪くないなと思った。
「なるべく、死なない努力をします」
「あぁ…それでいい」
彼のキスの意味が、ようやく理解できた。
Ende.