Voice

□そういうんじゃない
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「…えっ?!杉田さん!?」
「はい?」


かなり驚いた声で自分の名前を呼ばれ、なんだと思って顔をあげれば俺を見下ろす見開かれた大きな瞳がふたつ。それは言わずとも、坂下さんの瞳だった。


「帰られたんじゃなかったんですかん」


時間経ってますよ、と壁にかかっている時計を指差した。そのスラリと伸びた指を辿って時計を見ると、収録から30分以上経っていた。手元のゲーム機に視線を落とせば、ポーズ画面で止まっている。


「あー、ゲームに苦戦して…。
坂下さんは?どうしたの」


ゲーム機をカバンへと仕舞いながら、チラリと坂下さんの顔を見れば気まずそうに視線を逸らした。…そりゃ、落ち込むか。


「そんな気にすることないと思うよ。原田さんには俺も散々怒られたし」


それが最近ということは伏せて。


「…はい。でも、あの…わたし」


坂下さんはそこまで言うと言葉を詰まらせてしまった。そして、今まで我慢していたのか、大粒の涙がはらりと落ちた。


「ごめんなさい…っ、」


慌ててそれを拭う坂下さんに俺は目線を逸らした。涙なんて見られたくないだろうし、ましてやこんな黒ジャージの奴に。そして俺は女性の涙に慣れてはいない。どうするかな、この状況…、と思ったと同時に坂下さんが俺の名前を呼んだ。


「初めてのお仕事で迷惑…かけちゃって…。他の声優さんにも…」
「迷惑じゃないよ。みんなもしてきた。まだこれから、だろ」


次に続くだろう謝罪の言葉を消すようにして言った。…なに言ってるんだ、俺は。らしくない、と心中笑って立ち上がれば、坂下さんがずっ、と鼻をすすった。


「…ありがとう、ございますっ。がんばります!」


坂下さんは力強い声でそう言った。とびきりの笑顔付きで。こういう姿勢の子は嫌いじゃない。俺はポリポリと頭をかきながらくるりと振り返った。


「…あー、これから飯でも行く?」


別にそういうのじゃない。笑顔が可愛かったとか、そういうのじゃない。断じて違う。やましい気持ちはひとつもない。俺は坂下さんの先輩なんだから。兄さんもたま〜〜に連れてってくれる。うん、そうだ、それだ。


「…中村のおごりで」


中村を出すといやらしくないとか。そういうのじゃない。




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