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□真っ赤な林檎
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身体が重い。
朝起きて第一の感想だった。昨日は酒なんて呑んでないのに、と思いながら身体に鞭打って寝室をズルズルと出た。仕切りドアをスライドさせるのも一苦労だった。…何だこれ。やっとのことでドアを開けるとソファに座って雑誌を広げていた恋人の麻衣の姿が目に入った。
「おはよう佳正…ってどうしたの?」
「おはよ〜…、なんか身体が重いっていうかさー…」
辿り着いた麻衣の隣に腰掛けると次第に身体の力が抜けていった。あー、ホントにだるいかも。
「風邪なんじゃないの?」
「風邪?」
熱あるか測ってみなよ、と引き出しから体温計を取り出して手渡してくれた。ここ数年風邪にかかってない俺はえー、と漏らしながらもそれを受け取った。
「…38度は風邪だね!」
「まじかよー…」
「はいはいベッドに戻った戻った」
言われた通りに測ってみると38度と、まあ風邪だった。俺の腕を引っ張ってソファから立たせようとする麻衣にわざと後ろに体重をかけてソファから離れようとしなかった。
「ちょっと!自分で立って!」
「ここでいいってー。歩くのだるいんだよ」
「治るものも治らないでしよー。喉壊したらどうするの」
声のお仕事でしょー、と腕を引っ張る麻衣に今度は素直に従って、少し支えてもらいながら寝室へと舞い戻った。もぞもぞと布団に潜り込んだ俺を見て、ぽんぽんと布団を叩くと優しく微笑んだ。
「とりあえず寝てね。お昼近くなったら起こすからご飯食べて薬飲もうね」
「…子供じゃないんだけど」
麻衣の口調が子供に言い聞かせてるみたいで眉を寄せればふふふ、と笑って頬にひとつキスを落としてきた。
「あっちにいるから何かあったら言ってね」
突然のことに驚く俺をよそに笑みを浮かべてパタリと仕切り戸を閉めた。……熱上がるだろ。
風邪のせいだけではない熱さを感じながら1人ではちょっと広いベッドに身体を預けて目を閉じた。
「…佳正、佳正」
「…ん」
身体が熱くて汗の気持ち悪さの中、頬だけがひんやりとしていてゆっくりと目を開けると俺の手を握ってやんわりと頬を撫でる麻衣がベッドに座っていた。
「大丈夫?12時だよ。お粥作ったから少しでも食べて」
「…ん、ああ、うん」
のっそりと起き上がってよろよろと寝室を出るとき、麻衣は俺の腰を支えてくれていた。なんか情けない。
「食べられなかったら残していいからね!食べられるだけでいいよ」
いつも向かい合って座るのに椅子を俺の隣に持ってきて顔を覗き込むようにして言う麻衣。弱っているときの優しさって結構クるもんだなあ…。
「麻衣は?昼食ったの?」
「食べたよ!大丈夫!」
絶対食べてないな、と思っていると顔を顰めて俺からスプーンを奪い取った。そしてお粥を少し乗せるとふーと数回息を吹きかけて、ずいと俺の前に差し出した。
「佳正は食べて薬飲んで寝たらいいのー」
ほら、と近付けられるスプーンにそろりと口を開けてお粥を含んだ。ほどよい塩気が美味かった。
「味大丈夫?薄い?濃い?」
「大丈夫。美味しいよ」
「ほんと?よかった!」
安堵するように顔を崩す麻衣からスプーンを受け取ってお粥をきれいに食べ切った。途中で梅干しあるよ!とか食べ終わったらオレンジあるよ!とか忙しくウロウロする麻衣に笑みが零れた。麻衣の家では風邪のときはオレンジ、というのがあるらしい。
「全部食べられたね!」
「だから子供じゃないって」
おでこを小突くとへへへ、と可愛らしく笑った。
「ありがとな」
「えー、なによー」
俺の食べた食器を流し台に運びながらクスクスと肩を揺らした。その肩を抱き締めたいと思っても足に力が入らずただ座っているだけだった。
「麻衣」
そのもどかしさに恋人の名前を呼ぶと、んー?と振り返った麻衣は何かに気が付いたのか顔を緩ませるとタオルで手を拭きながらこっちへと足を向けた。
「なにそんな子犬みたいな顔してるの?」
笑いながら言う麻衣の手は水で濡れて冷たくて体温が高い身体には気持ちが良かった。額に当てられた手に目を閉じて俺の横に立つ麻衣を引き寄せた。お腹らへんに顔を埋めると麻衣と香りがして肺いっぱいに吸い込んだ。
「ちょっと、嗅がないで!もう、薬飲んだならはやく寝てよー」
ぽんぽんと肩を叩く麻衣から身体を少し離して、その手をぐいと引っ張った。そして口…にしようと思ったが風邪がうつってしまってはダメだと思い頬にキスをした。
顔を真っ赤にして麻衣にどちらが風邪を引いているのかわからなくなった。