Voice

□酸素
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この世界には無くては生きていけないものがある。人間だったら酸素とか、水とか。私にとってもそれは当たり前だけど、それ以前にもっともっと自分の一部みたいに必要なものがある。



「…なあ、麻衣」
「喋んないで。動かないで」


コンコンと遠慮がちなノックの音にピシャリと言い放つとドアの向こうで、えぇー…と言う声が聞こえた。

さっきまで身を寄せ合っていたのだが、今は彼の自室を私が占領している。締め出した、っていうほうが正しい。佳正のベッドに座り込んで、布団を引き寄せれば彼の香りが私を包んで鼻の奥がツンとなった。


「…俺のこと嫌いになった?」


さっきから私の名前を呼んでいた佳正が黙ったと思えば、ボソリと聞こえた言葉。その言葉にそこら辺にあったクッションを掴んでドアへとぶん投げた。柔らかいクッションはポスと当たって床へと落ちる。


「嫌い!大っ嫌い!なんで!なんで、東京行っちゃうの…。一緒にいるって言ったのに!ずっと側にいるって言ったじゃん!」


胸が詰まって声がうまくでない。ボロボロと零れる涙が口に入ってしょっぱい。布団に顔を埋めて涙を拭った。


「…麻衣、ごめん」


こんなうざい彼女に謝ってる佳正が嫌い。優しい佳正が嫌い。身体に染み付いて離れないこの香りが嫌い。目を閉じると浮かぶ笑顔も、響く声も、温もりも。ドアには鍵なんてかかってないのに入ってこないのも。入ってきたら入ってきたらで怒るけど。そんな自分勝手で我儘な自分が大嫌い。


「行かないでよ…1人にしないでよ…!」


泣きすぎて過呼吸みたいになりながらドアを睨んだ。そこには茶色の何の変哲もないドアがあるばかりで、最愛の恋人はいない。



私に必要なものは佳正だ。佳正が居ないと何をしたらいいかわからない。呼吸の仕方だって、笑うことだって。佳正がいないと生きていけない。


「…麻衣、」
「そこから動かないで。ずっとそこに居て」


服の裾は涙を拭いていたせいで色が変わり、拭いても拭いても顔が濡れるばかり。


「麻衣」


キィ、と微かな音と共に床がギシリと軋んだ。揺れる空気にもっと涙が溢れて布団をギュッと掴んだ。


「…動かないでって、言った」
「うん、ごめん」


ドアを通してじゃなくて、すぐ近くで聞こえる声。この声が機械を通してしか聞けなくなる。


「…喋って。いっぱい、いっぱい喋って」


さっきと言ってることは逆だってわかってる。困らせることしかできない私に佳正は、うん、と言ってくれる。


「…やってみたいんだ俺。この声で。難しいってわかってるけど、やってみたい。麻衣をすごい傷付けてるっていうのもわかってる。ごめんな、俺…」
「い、いやだ!聞きたくない!そんなこと聞きたくない!もっと、もっと…」


バッと布団から顔をあげると、眉を下げてベッドと向かい合うようにして床に座り込む佳正がいた。その姿を見た瞬間に、視界が酷く歪んだ。握り締めていた布団を離して佳正に抱き付いた。


「好きぃ…!」
「…麻衣」


背中に回った腕が苦しいくらいに私を締め付ける。ベッドから崩れ落ちた身体が痛いだとか、涙と鼻水でぐちゃぐちゃな顔だとかもうどうでもいい。


「私も行く…っ、すぐに行くっ」
「うん、」
「一緒にいたいの…」


区潜った佳正の声も震えていて、胸が締め付けられる。


「応援してる…。行かないでって困らせてごめんね…好きだよ、」
「ううん、嬉しかった。泣いてくれて嬉しいよ」


麻衣がいないと生きていけないんだ。そう言う佳正の言葉に声をあげて泣いた。


「…好きだよ、麻衣」
「私も好き…」


どちらともなく唇を這わせるように合わせ、縋った。お互い涙でぐちゃぐちゃになった顔を見合わせて笑い合った。離れたってこのままずっと笑い合っていけるって、そう確信できる。




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