眠れる森

□1.出会い*
1ページ/4ページ

ヒカリと初めて出会った夜は、月もなく星もない曇り空だった。




「ありがとうございました」
背後から聞こえたマスターの声も、フェイタンの頭に響いて鬱陶しい。

今日はマフィアの裏取引現場での品物の強奪。
一人で任された仕事がうまく行ったのは良かったが、それにしても今日は飲み過ぎた。

バーを出ると夜風がひやりと頬を撫で、心地よい冷たさを感じる。
意識ははっきりとあるが、重く気怠い体を引きずってアジトへと向かう。

月も雲に隠された夜道を街頭だけを頼りに歩いていく。


何本目かの街頭の横を通り過ぎようとした。
「──?」
通電していない、真っ暗な街頭。
その柱に、もたれかかるようにして、ぐったり座る妙な女がいた。

ただの酔っ払いだろうとすぐに視界から外して、歩き続ける。
だが、突如背後から引っ張られるような感覚がして無理矢理足を止められた。

苛立った顔つきでフェイタンは振り返る。
その足元で女は、しゃがみこんだままがっしりとフェイタンのマントの裾を握りしめていた。

「お前なにか?ささと離すね」
フェイタンの睨みをきかせた表情に並みの人間なら、震え上がって逃げていく。

ところが、この女は違った。
「ねぇ酔っ払っちゃった。
家まで送ってくれない?」
にんまりと満面の笑みを返してきた。



「あ〜さっぱりした!
本当にありがとう。助かったよ」
一人暮しの女らしく、こじんまりとした家だった。
シャワーを浴びて、すっかり酔いが醒めた女は上機嫌でタオルで髪を無造作にふいている。

別に親切心で家まで送ってやろうなんて気持ちは微塵も無かった。
酔っ払いに騒がれるのは面倒立ったのと、よくよく見れば整った顔立ちのこの女と一晩共にするのも悪くないと思えたから。

「あなたも酔ってるみたいだし、シャワー使う?
え─っと…」
「─……フェイタンね」
どうせ一度抱けば、殺してしまう女に自分の名が知れようが関係なかった。

シャワーを浴びて、フェイタンの冷え切っていた体も温もった。
あとは適当にあの女を抱いて、いつも通り殺してお終い。
そこにあるのは、ただの欲望だけ。
男の女の間の情愛など微塵も感じなかった。

「暖まった?
コーヒーでも飲む?」
これからの自分の死にゆく運命など、夢にも思っていないだろう女は、明るくフェイタンに飲み物を差し出す。

それを受け取りフェイタンは、女とベッドに並んでコーヒーを飲んだ。
特に言葉を交わすわけでも無かったが、何気なくベッドに座ったことがこの先の情事を想像させた。
所詮、この女も体だけの関係を望んでいるからこそ、フェイタンを招き入れたのだろう。


「…人と飲むコーヒーって美味しいもんだね」
猫舌なのか、ふうふうと冷ましながら女はコーヒーを静かにすする。

「いつもは一人か?」
本当に何気ない言葉だった。
この女への心配や気づかいなんてものは、一切感じていなかった。


「…うん。
ずっと一人」
寂しさとも取れない、そんな感情はとうに通り過ぎたかのような諦めたような表情で女は微笑んだ。

何も感じていないはずだった。
なのに、この女の表情に…その言葉に胸の奥がどくんと震えた。


フェイタンは、まだこの言葉をさして気にしていなかった。
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ