縁薫v抜薫

□幾星霜の時を重ねて 3
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「あ…」
「気が付いたか」
 どこかほっとした表情の縁が、汗に濡れた薫の髪を掻き上げた。
「さわら…ない…で」
 彼の手を払い除けたくても、指一つ動かせない。されるがままになりながら、かすれた声を出すのが精一杯だった。
 腹立たしさと情けなさに涙がにじむ。

「…泣くな。もう何もしない」
「あんな…ひどい…」
「乱暴にして悪かった」
 涙混じりに詰ると、優しく宥められながら体を清められていく。新しく着せられたガウン越しに抱き締められ、薫は困惑した。
「…離して」
 これではまるで、睦み合った後の恋人同士のようだ。ありえない。

「何もしないと言っただろう」
「だけど…」
「体が熱い。おとなしくしていろ」
 そう言われてみると、確かに翻弄された体の痛みとは別に、悪寒がする。
 縁の腕から逃れるのをあきらめ、腫れた目蓋を閉じた。
 
 誰かのぬくもりに包まれる。何年ぶりのことだろう。
 ましてや、一度は惹かれたことのあるこの男の…。

 剣心の中に巴が生き続けていたように、薫の心の中にも決して消し去ることのできない存在として、縁がいた。

 だが、抵抗出来ない圧倒的な男の力に屈伏させられ、弱り切った心を甘く慰められ…。

(…悔しい)

 とっくに無くしたと思っていた、女としての心が満たされてしまうのを感じ、薫は唇を噛んだ。
 目を閉じていても、後から後から涙が溢れてくる。
 泣き止まない薫をどう思ったのか、縁が体を離し立ちあがった。
 涙でぼやけた視界の中、縁が何かを手に取り戻ってくる。小さな瓶のようだった。
 匙で中身を掬うと、薫の口元に近付けてきた。
「な…に…?」
「口を開けろ」
「や…」
 無理矢理口に匙を押し込まれ、口の中に濃厚な何かが広がる。甘酸っぱい香りに一瞬えづきそうになるが、すぐに治まり、口の中には優しい甘さが残った。
「これ…蜂蜜?」
「そうだ。これは…わかるんだな」
 縁が独り言のように呟き、濡れた手ぬぐいで薫の涙を拭いた。もう一度匙を口元に寄せられ、今度はおとなしく口を開く。
「あまい…」
 疲れた体に蜜の滋味が染み渡るようだった。
「甘味は大丈夫のようだな。マリアに何か甘いものを用意させよう」
「え…」
 そう言って部屋から出ようとする縁を引き止める。「待って…」
「なんだ」
「あの…マリアさんを…呼ぶの?」
「ああ。どうした?」
「だって…」
 本意でなかったとはいえ、彼女の良人と肌を合わせたのだ。とても彼女に会わせる顔などない。
 親切にしてくれた彼女に憎しみの目で見られるかと思うと、つらかった。
「…私…出ていくから…」
 力の入らない体で立ち上がろうとすると、縁の顔色が変わった。
「…そんなこと、許すはずがないだろう」
「お願い…うちに帰らせて…」
「駄目だ」
 それまでのどこか優しい空気が一変し、怒気を孕んだ眼差しに射抜かれる。

「どこにも行かせない」
「や…っ」
 手加減のない力で両肩を押さえられ、痛みに呻いた。
「あれほど刻み付けてもまだわからないのか」
「いや…お願い、うちに…んっ…」
 逃れることも出来ず、激しい口付けに理性が溶かされていく。

 縁のぬくもりに惹かれるなんて許されない。
 それなのに…。
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