お題―恋する動詞

□8.見つめる
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「これ、使えば良いのに」
 帳面と筆を示すと、拗ねたようにそっぽを向いてしまう。以前、悪筆だなんだと散々皆でからかったのを根に持っているのだろう。
 なんとか身振り手振りで知らせようと頑張っている。

 くすくす笑っていると、剣心が立ち上がる。
「あ…怒った?」
 慌てて後を追うと、剣心は笑いながら首を振り、台所を指差す。

「ああ、もうこんな時間。夕ご飯、準備しなきゃ…」 
 そう言いながら慌ただしく台所の土間に降り、二人並んで支度に取り掛かる。
 剣心に教わりながら、薫は料理の修行中。

 普段なら包丁を握る薫にあれこれ指示してくれるのだが…。

 さすがに身振り手振りでは焦れったくなったのか、剣心が薫の背後に立つ。
 抱え込むように後ろから手を握られ、薫の頭は真っ白になった。

(へ、平常心よ…!)

 せっかく親切に料理を教えてくれているのに、動揺したり喜んだりして、いやらしい娘だなんて思われたら…。

(恥ずかしすぎる…!)

 だが、こんなに密着して集中できるはずがない。

 対する剣心は平静そのもの。
(剣心って、集中したらわりと色々気にしなくなる人なのよね…というか、わたし、女として見られてないんだわ…)
 埒もないことを考え、勝手にしょんぼりしてしまう。

 そのうちさすがに苛立ったのか、剣心がうわの空の薫にコツンとおでこをぶつけてきた。痛くはなかったが、びっくりして振り返る。
 そこにはいたって真面目な彼の顔。
 唇を動かし、何かを訴える。
「え…何?」
 じっと見つめると一瞬剣心がひるんだような顔になる。
「剣心?」
 首を傾げると、もう一度剣心が唇を動かす。

 ――あ・ぶ・な・い。

(ああ…心配してくれたのね)
 そう思いながら、彼の唇から目が離せない。見つめ続ける薫に、剣心がもう一度同じ動きを繰り返す。
 微かな吐息が薫の唇をくすぐった。
(あ…カリンの匂い…)

 喉にいいからと、妙がお裾分けしてくれたカリンの蜜漬け。
 
(甘酸っぱい、なんだかいい匂い。あ…)
 よく見ると、彼の唇は少しかさつき、わずかに血が滲んでいた。

(痛そう…)
 ふと、そう思った次の瞬間。

「――…っ?!」
 ガタガタッ。

 目の前には、真っ赤な顔で後退りした剣心と、引っ繰り返った桶。
 
「あれ…わたし、今…」
 呆然と自分の行動を反芻する。
 舌に残る、微かな血の味。

 誰の…?
 ――…剣心の。

 一気に血の気が引き、一瞬で戻る。

「うそっ!」

 自分のしたことを信じたくなかったが、首まで朱に染めた剣心の表情は現実で。

「血が…血が出ててかわいそうだったから…ごめんなさい〜!!」

 包丁を握ったまま、被害者を残し逃走。
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