お題―恋する動詞

□12.囁く
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ある晴れた麗らかな春の午後。買い物から帰った剣心は、薫の姿が見えないことに気付く。
「薫殿?」
怪訝に思っていると奥の間の方から小さな声が聞こえた。
「――…?」
来客だろうか。挨拶をするべきか。
しかし、開け放された部屋を覗こうとしたとき、自分の名前が耳に入り足が止まる。
「――それでね、剣心ね…すごく強いの…。身のこなしもきれいで見とれちゃう…この間もね、…――」
囁くような声は途切れ途切れにしか聞こえない。だが、はっきりと憧憬の想いを滲ませる声音に顔に血が上る。
出るに出られず逡巡していると、ふと客人の女性が顔を上げ、目が合う。あ…、と戸惑っていると、彼女が微笑んで唇に人差し指を当てた。確かに、今出ていっては薫も自分もはずかしい思いをすることになる。
剣心は会釈して、気付かれないようその場を後にした。


「あれ、剣心。帰ってたの?」
しばらくして薫が台所に現れた。
「薫殿。ちょうどお茶がはいったよ。どうぞ」
「ありがと。一緒に飲みましょ」
お隣さんにぼたもち頂いたのよ〜、と嬉しそうに薫は戸棚を覗く。
「はて、客人は帰られたのでござるか?」
「え?誰も来てないわよ?」
薫は不思議そうに首を傾げたが、すぐに真っ赤な顔であ…!と口籠もる。
「――…な、なにか聞こえた?」
じっと恥ずかしそうに見つめてくる瞳の前で、顔色を変えぬよう必死に平常心を保つ。
「いや、誰かと話しているような気配がしたので…」「あ、そう?誰も来ていないわよ」
「そう、でござるか…」
釈然としないながらもそこで話は終わった。
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