お題―恋する動詞

□17.自惚れる
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「薫さん!」
弥彦と二人、出稽古先を出ようとした薫を一人の青年が呼び止める。弥彦はまたか…とため息を吐いた。だが、面倒だからとここで薫を置いて帰っては後々厄介な事になる。
やれやれと石段に腰掛け、目の前のやり取りを見守ることにした。


一度は失われたと思われていた薫が無事に帰ってきたのがふた月前。稽古を再会するにしても、道場は再建中、弥彦も本調子ではないということで、他道場に出向くようになったのだが…。
(こりゃ一体なんの祭りだよ。剣術小町ってのも侮れねーな)
薫の無事を喜ぶ面々に、行く先々で恋文を手渡され、思いの丈を打ち明けられ…。
(みんな、本気なんだか楽しんでいるんだか…いわゆる、いべんと?)
薫はぐったりとため息を吐いた。


「剣心、今日は恋文二つに、直接言ってきたのが一人だったぜ」
「おろ、モテモテでござるな」
感心したように言いながら、鍋の様子を見る剣心の背中を軽くこづく。
「余裕こいてっと、横からかっさらわれても知らねーぞ」
「はは、それは困る」
おどけた物言いには欠片も嫉妬の陰などない。
「とばっちりを食らうのは俺なんだからな!」
想いを告げられるのは嬉しいことだと言いながら、薫の機嫌は急降下中。原因はもちろん、目の前のこの男のせい。
「少しは嫉妬するふりくらいしてみせろよな!でないと薫も浮かばれないぜ」
「嫉妬でござるか」
びしり、と指を突き付けられ、剣心は困ったように笑う。
「そういわれても。拙者、心にもないことはできぬ…よ…」
そう言い掛けて、剣心が固まる。背後に感じる恐ろしい気配。
「――あら、そう…。よぉくわかったわ…!」
腰に手を当て立つ姿はさながら仁王像。これからの嵐を予感して弥彦はそろそろと後ずさった。


―――嫉妬のふりなど…心にもないことは出来ない。
耳に入ってしまったひそひそと話される内容に一瞬血の気が引き、そして一気に戻る。
弥彦の予想に反して、台所に炭や野菜が飛び交う事態とはならなかった。
薫は彼女の怒りを覚悟して身構えた剣心と弥彦に背中を向け、足早に自室へ向かう。
「か、薫殿…!」
我に返り、慌てた様子で剣心が追い掛けてくるが、とても顔など見れない。

(―――恥ずかしい…!)
自惚れていた。剣心も自分のことを好きでいてくれるのだと。とんだ独りよがりだった。恥ずかしくて死んでしまいたい…。
「薫殿、待ってくれ」
「やだ!入ってこないで!」
自室まで追い掛けてきた剣心の目の前で、ぴしゃりと戸を閉める。今は何も聞きたくない。押し入れに閉じこもり、布団に顔を埋めた。
剣心が自分を大切に想ってくれているのはよくわかっている。だけど、嫉妬する気もおきない、つまり女性として求められているわけではなかったなんて…――。
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