お題―恋する動詞

□11.逃げる
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まだ七月だというのにうだるような暑さの中。
「みんな、一休みしよう」
剣心が道場の中に声をかけると、歓声が揚がり、もわーっとした熱気とともに門下生が飛び出してくる。
「西瓜があるよ」
「うまそう!ありがとうございます、緋村先生!」
「やった〜!」
年少の子供たちから我先に手を伸ばす。
「ありがとね、剣心」
並んで腰を下ろし、西瓜を手渡した。
「はい、薫殿もどうぞ」
「わぁい。ほら剣路、西瓜よ」
「ちょうだい!」
さっそく母の膝に陣取った子供の口に、西瓜をあてがってやる。
勢いよく夢中で食べるので、瑞々しい実から汁がしたたり落ちた。
「あっ、やだ…」
胴着が汚れてしまうとあわてるが、片手に西瓜、片手に我が子。薫は腕を高くするが、汁が顕になった白い腕を伝っていく。
「剣心…」
助けを求めるように見つめられ、すぐにその手を取る。薫の西瓜を持つ濡れた手からしたたる汁を吸い取り、そのまま肘まで跡を辿った。
これでよし。胴着が汚れずにすみ、満足して剣心は顔を上げた。
そこには真っ赤な顔で絶句する妻と、しんと静まり返った門下生たち。
「―――…いや、それにしても暑いなあ。顔でも洗いにいこうかな…」
「あ、新市さん、ぼくも!待ってください!」
「…お二人とも、ほんと仲良しですよねぇ。でも暑苦しいからそこまでにしといてください」
顔を赤くしてそそくさと立ち去る門下生と、しらっと言い放ち西瓜を頬張る師範代。
ようやくしでかしたことに気付いて、剣心は慌てて立ち上がった。
これはどうやら逃げるが勝ち。
「そうそう、麦湯も冷やしていたんだった…」
「――もう、剣心っ…!!」
そそくさと立ち去る背中に怒れる妻の声。参ったなあ、と甘く濡れた口元を拭い台所に向かった。



おしまい

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