剣の君

□白薔薇姫
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足元がふわりと浮き上がるような独特の感じと共に、レッドたちの視界が一変した。
ファシナトゥールとは違う星空。
石材で組み上げられた互い違いの建造物に、それを守るかのようなモンスターたち。
カチコチという、レトロな機械の駆動音。
それはまるで…
そのリージョンが巨大な一個の時計で、レッドたちが小人となってその内部に潜り込んでいるような錯覚を起こす、そんな場所だった。
「姉ちゃん?ここは?」
レッドは、自分たちを一時にこの場へ瞬間転移させた人物に、そう尋ねた。
「時間妖魔のリージョン。そんな風に呼ばれている」
アセルスは、懐かしげに周囲を見回しながら、レッドに告げた。
アセルスが転移させたのは、彼女自身も含めると7人。アセルス、メサルティム、メローペ、ゾズマ、ディアディム、それに加えレッドとヒューズ。
アルナイルと従僕は、花咲く島の彼女の屋敷に残してきた。何かあったら、すぐに水盤の城に知らせるよう、アセルスから丹念に言い含めて。
「…時の君、ね。君が何を考えているかは大体分かったよ」
ゾズマが面白そうに周囲を見回した。その後ろでディアディムがきょとんとしている。
「主役は君だよ、ディアディム」
急に振り返ったアセルスに言われ、ディアディムは露骨に狼狽えた。
「そのような…私ごときつまらぬ下級妖魔風情が、畏れ多くもアセルス様にそのようなお言葉を賜るなど」
「君はもっと堂々としていていい。その方が魅力的だし、私も嬉しい。正直、誰かの顔色を窺ってビクビクしている女性を見るのが辛いんだ。こういう考えは、迷惑かな?」
アセルスが笑いかけると、ディアディムの顔に朱が昇った。
「いえ、決してそのような…」
「じゃあ決まりだ。君を強くしてくれる人の元へ行こう!」
アセルスがディアディムの手を引く。恥ずかしそうに、ディアディムがその導きに従い、石造りの道を歩き出した。
「何か、俺たち、おいてけぼりだな」
ヒューズがうっそりと呟き、動き出した一行に従って前へと進んだ。
「…ま、いいんじゃねえの?」
レッドは軽く肩をすくめて、彼に並んだ。こういう場所が存在することすら知らなかった彼からしてみれば、来れただけ収穫だ。目下の目的、アケルナルの捜索からはいささか横道に逸れるが、何らかの情報を得る可能性もある。

林立する石塔とモンスターたちの間をすり抜け、一行が到達したのは大きな跳ね橋の前だった。先頭に立ったアセルスがその真ん前の石舞台の縁に立つと、幅広の跳ね橋は大きな音と共に目の前に降りてきた。
「何かさ、映画とかで見る外国の城みたいだな」
レッドが何気なく呟いた。
「確かにね。ここの主は、城に住んでいてもおかしくない人だよ」
アセルスは意味ありげに笑う。彼女が靴音をリズミカルに響かせて跳ね橋を渡ると、他の者たちも後に続いた。
「懐かしいですね。あの方はお元気でしょうか?」
宙を泳ぐメサルティムが、微かに微笑んだ。
「多分、用件を言ったら、また『酔狂な』とか何とか、言われるんだろうなあ」
アセルスは軽やかに笑った。
分厚く巨大な木製の扉を開けた先に、その人物はいた。
上級妖魔だ、とレッドは思った。
こめかみ辺りの髪だけが、雪のように白い。
概して中性的な上級妖魔の男性にしては、男っぽい感じを受ける。鋭い眼差し、泰然たる空気をまとい、その男は自らの領域に踏み込んだ者たちを見返した。
「…アセルスか。何用だ?」
「久し振り、時の君。元気そうで安心したよ」
アセルスが彼の前に立つ。彼女の方が小柄なのに、放射する甘美な威圧感とでも言うべきもので、彼女は時の君と呼ばれたその妖魔を圧している。
これが妖魔たちがしょっちゅう口にし、何かと気にかける「格」というものなのだと、レッドはようやく理解した。ただし、アセルスにしても時の君にしても、それを気にする様子はない。
「時の君。時術を売って欲しいんだ。…私じゃなく、彼女に」
アセルスはディアディムの手を引き、時の君の前に押し出した。ディアディムはぎょっとしたようにアセルスを振り返る。
「ほう…?」
「ア、アセルス様?」
ディアディムが慌てふためくのを、アセルスはくすりとした笑みで迎えた。
「時術は時を操る術だ。相手の時を奪って行動を封じたり、石にしてしまったりする強力な術が揃っている。相手の機先を制することが大事だけど、ディアディムなら元が素早いから、妖魔武具への憑依次第でいくらでも可能だろう。ああ、時の君、代金なら用意してきた。このお金でいいかな?」
アセルスはファシナトゥールで使われている美麗な硬貨の詰まった袋を差し出した。
「…良かろう。ディアディムとやら、こちらへ」
時の君に促され、ディアディムはおずおずと前に進んだ。困惑したように、アセルスを、ゾズマを振り返る。
「折角の機会を利用しない手はないさ、ディアディム。アセルスにしちゃ気が利いた思い付きだよ。時術を操るディアディムも悪くない」
ゾズマが気楽に言い、ディアディムを促した。彼女は僅かに迷った後、腹を決めたようだ。時の君に向き合った。
時の君がディアディムに手をかざし、自らの術力に乗せて、彼女の精神に術を直接書き込んで行く。レッドとしては、パソコンでソフトをダウンロードするようなものなのだろうと理解していたが、妖魔は機械音痴、かつ機械を卑しむと知っていたので黙っていた。
しばしの時間の後、時の君はうなずいた。
「これで良かろう。資質のいらない術は、全て送り込んでおいた。もし、もっと術を磨きたい場合は、これをな」
彼がディアディムに手渡したのは、何巻かの巻物だった。一応、術を磨いたことのあるレッドやヒューズには、それが術の摂理を示したものだということが分かる。
「ありがとうございます…。私…」
ディアディムはアセルスを振り返った。彼女は満足げにうなずく。
「いい感じだ。後は妖魔武具にそれなりのモンスターを憑依させれば完璧だね」
「アセルス様、ここは一旦、水盤の城にお戻りになった方が」
ふと、メローペが口を挟んだ。
「イルドゥンに黙って出てきてしまったのですから、戻らないと後が怖うございますよ」
ああ、というように、アセルスが首を巡らせた。
「そう言やそうだったなあ。うっかりしてた。ありがとう、メローペ」
「おいおい。イルドゥンに黙って出てきた訳?こりゃ面白いことになりそうだね」
ゾズマが露骨ににやにやしだす。
「取り敢えず戻ろう。イルドゥンには私から言っておくよ。…ありがとう、時の君。また何かあったら来させてもらうよ。貴方も良かったらファシナトゥールに遊びに来てね。いつでも歓迎するよ」
時の君の晦渋な顔に、僅かな笑みが浮かんだ。

アセルスは、一瞬で全員を転移させた。
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