おくりもの
□紅梅に告ぐ
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町を出て数日。
西へ向かう一行は、山間の小さな村で宿をとっていた。
珍しく全員が一人部屋をとることができ、早めの解散となったその夜。
宿屋の庭に桜李の姿を見つけ、悟浄は窓を開けた。ふわりと、庭に植えられた紅梅の香りがする。春の始めの暖かい風が、悟浄の紅い髪をゆらした。
悟浄に気がついていない様子の桜李は、紅梅の隣に立ち、ぼんやりと空を見つめている。
「こんな時間に散歩か?」
声をかけられた桜李はあたりを少し見回して、悟浄を見つけると苦笑いした。
『見つかっちゃった?』
「当たり前だろォが。部屋の真ん前だぞ?」
『それもそうだね』
桜李が近寄って、開け放たれた窓に寄りかかる。
『夜は…どうしても外に出たくなるんだ。月が見たくて』
「かぐや姫、ってか?」
『何それ』
からかったつもりが真面目にかえされてしまい、悟浄は説明を始める。
「東の方の昔話だよ。竹から生まれた女の子が、実は月の国のお姫様で…って話。知らねェ?」
『知らない。…続きは?』
「あー…っとな、確か…天上人のお姫様にお迎えが来ちまって、月に帰るんだっけかな」
『なんだそれ』
うろ覚えではあったが、間違ってはいないはずだ。一人頷いた悟浄は、呆れたように笑う桜李を見た。
「や、ホントだって」
『大丈夫、疑ってる訳じゃないよ…それで?なんで僕がその、かぐや姫なの?』
自分と同じ紅い目が、月を眺めている。
悟浄は窓のわくに頬杖をついて、記憶を呼び起こした。
ひとつ、煙を吐く。
「かぐや姫は毎日、月を見て泣いてたンだってよ。ワタシ早く帰りたいわー、って……ん?帰りたくなかったんだっけかな」
タバコを咥えて首を傾げていると、どっちでもいいよと呟きが聞こえて。
隣へと視線を向ける。
『僕は天上人でもないし、月の人でもないから。帰るところなんてないよ』
風に掬われていく花びらを追いかけて、すぐ隣の紅が同じように揺れた。
そういえば桜李は、今まで色々な町を渡り歩いていたと聞いたが、故郷がどこなのかは知らなかった。
何か事情があるのであろう、その淋しげな横顔と微かな笑みに目が離せなくなる。
(…いやいや、コイツ男だから。思いとどまれ俺…)
そこに色気を感じてしまった自分を必死に誤魔化す。わざと力を入れて頭を撫でてやると、柔らかな黒い髪が指先を流れていくのを感じた。
「あー、いっそお前が女だったらなァ…」
割と本心だったが、なんとか悟浄は冗談めかして言った。桜李の視線を感じて、顔を背ける。
『なんで?』
「なんでってそりゃぁ、アレだ…女だったら堂々と口説けるデショ?」
『…は?』
「…あ?」
互いに情けない声をあげ、黙り込む。
しばらく何かを考えていた桜李が、ぽつりと声を漏らした。
『…良かった。男で』
「オイそれどーゆー意味よ」
苦笑した悟浄がタバコの煙と共に質問を吐き出す。
桜李はゆっくりと月を見てから、自信満々に笑った。
『女だったら惚れちゃうだろ?』
「…お前って案外ナルシストね?」
『は?』
桜李が笑みを引っ込ませて固まる。
話が噛み合っていなかったようで、数秒の沈黙の後、さも納得した様子で桜李が頷いた。
『ああ、そーゆーことか……ねぇ、悟浄って天然?』
「俺ソレ初めて言われたわ」
急な『天然』宣告に驚いて、タバコを咥えたまま首を振る。桜李はなおも苦笑している。
『―――だって、さっきのはさ?』
小首を傾げた桜李が、頬杖をつく悟浄の耳元に唇を寄せ。
『堂々と口説かれたら。俺が、惚れちゃうだろってハナシだよ?』
遠ざかっていく桜李の気配。
耳元に残る温かな言葉に混乱して、タバコが落ちる。
―――自分は何を言った?
桜李が女だったら口説ける、惚れるだろう、と。
―――桜李は?
惚れると言ったのは悟浄ではなく、自分のことだと。
はっとして見れば、
既に桜李は宿屋の角を曲がるところで。
「…両思い、ってことでいーワケ?」
一人取り残され、緩む頬を押さえる悟浄の小さな呟きは、
月だけが聞いていた。
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