風姿華伝書

□華伝書90
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一いざ、戦となれば


私は一・・・・・あなたを

一人捨て置く《漢》です。

それでも、ここに・・・・

いてくれますか・・・?一

『戻ってきてほしい』との

先生の言葉にこの間、


みつは承諾のうなずきを


見せてくれた。


一・・・・・しかし・・。

先生は言えずにいたのである。


いずれ、来るかもしれない

《別れの時》を一・・・。

泣き付かれるのを


振り払ってでも、


貫かなくてはならない


    《己の》


武士の生きざまを・・・。

一・・・・・・・言えば。

「一・・・・・・・・っ」

・・・・・あなたは・・。

先生は目を伏せる。


ただ、恐かった一・・・。

すぐ隣に座るみつの瞳さえ

土方さんの右目のように


とても凝視などできなかった。


きっと一・・・・・みつは

これから起こる先生との


暮らしに少なからず


希望のような光を見ていた

ことであろう。


小さくとも、確かに感じる

喜びや幸せ一・・・・・。

その小さな喜びや幸せさえ

必ず《護ってやる》と


言ってやれない己が・・・

何よりも不甲斐なく、


やりきれなかった。


しばしの無言の時が


春の夜空に霞む朧月夜を


優しく包み込んでゆく。


その朧月に照らされ


蒼白く色づけされた


大地からは、まるで


《春》という一時の流れを

いとおしむように


二、三本のつくしが顔を


のぞかせていた。


辺りはすっかり宵を迎え


すぐ裏手に建つ長屋から


微かに漂ってくる夕食の


薫りに、人が暮らす暖かさ

を覚える。


「一・・・・・・・・」


ふと、立ち上がったかと


思うと、みつはおもむろに

僅かに開いた障子戸に手をかけた。


スゥッと息を吸い込むと


ほのかに薫る春に喉の奥が

満たされていく。


風が、通った。


行灯の灯が揺れゆく。


そして一・・・・・・・・

「一・・・構いません」


言葉が零れた。


「先生は先生の・・・・・

《武士道・みち》をお進み

ください。何を血迷うて


おられるのですか」


「一・・・え・・・・・」

その予想もしなかった


言葉に、先生の顔が思わず上がる。


「武士の妾となる以上、


それは・・・どうしようも

ないことだと、すでに


承知の上で、私は・・っ」

みつの瞳に温かいものが


次々とこみあげる。


そのまま、クルッと


先生に背を向けた。


一・・・《私は》・・・一

「《あなた》に付いていく

と決めたんですっ!!!」

「一・・・・・・・っ」


一捨て置かれるのは・・・

哀しいに決まっている。


助けることも、励ますこと

も、何もしてあげられない。


でも一・・・信じた道を


悔やもうとされる方が


この方の、重荷になることが


何倍も・・・何倍も・・・

私は、哀しい・・・・・一
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