風姿華伝書

□華伝書71
1ページ/7ページ

にゃーぉ


そんなところに隠れず、 

さっさと行けとでも言って

いるのか。


月影に隠れるように立って

いた先生の前を通り過ぎて

いった猫が一声、鳴いた。

「一・・・・・っ」


びっくりした先生は急いで

猫の口に手を添えたが  

時はすでに、遅し。


「一・・・・・先生?」


みつはその声に、振り返っていた。


見えにくい目をこらし、 

月影から微かに映し出され

る先生の姿に声をかける。

「・・・すみません。


遅くなって・・・」


「いえ一・・・」


やっと、会話らしい会話を

し始めることはできたが、

やはり、言葉がぎこちなく

互いにしばしの間、黙り 

こんでしまった。


「一・・・・・」


「一・・・・・あのっ」


そして、その沈黙を破った

のは、意外にも、みつの方

だった。


恥ずかしそうに眼を伏せ 

ながら、スッと懐に手を 

伸ばし、出てきたのは。


「これは一・・・?」


「文です。明光寺の


和尚様から先生へと・・」

小さく細長く折られた文を

結んだ、結び文であった。

「・・・明光寺に行ったのですか?」


先生は文を受け取り、  

みつに尋ねる。


すると、ようやく先生の 

眼を見たみつは、フッと 

不躾ながら、頬笑んでしまった。


「一・・・・・?」


「す、すみません。


和尚様から、先生の話を


色々と伺ったので、


思い出してしまって」

「えっ一・・・」

「幼い頃に、犬に噛まれて

高熱をお出しになったこと

など・・・・・」


「あぁ、それは・・・」

先生は頭を抱えた。


多少なりと、恥ずかしいのだろう。


「一体、犬に何をしたのです?」


「一・・・・・っ。


け、剣術の稽古と思って


木刀を振っていたら、


思いっきり、犬をぶって


しまっていて・・・」


顔を真っ赤にして語る  

先生に、みつは苦しげに 

腹をかかえた。


「そっ、それは、犬も


大変痛かったでしょうね」

「一・・・・・っ」

何しろ、幼い頃から剣才を

うたわれていた先生の  

しかも木刀を受けたのである。


これでは、噛まれた先生 

より、犬の方がいっその 

こと不憫であろう。
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ