短篇集

□紅鬼と宵櫻。
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――時は、幕末。動乱の世。


      ぎゃぁぁあ


突然。


三味線の音が途切れ悲鳴が、闇を斬りさく。真赤な血飛沫をあげ、畳へ倒れていく男。逃げ惑う女中達。顔一面を伝った生暖かな血。


そして………


次々と、目の前の情景が変わっていく中。男を斬った武者の姿に、突如娘は己の意識を手放し、そのまま血なまぐさい畳へと崩れていった。
行灯の火も消えた月光の中、見えたのは



…朱色の刄、紅い着物、冷えた瞳…

   それは正しく……紅鬼。







ーーー文久3年(1864)早春、京。
230年程続いた江戸の世も、ペリー来航以降ついに陰りを見せ始め、桜田門外の変を境に、外国人排除を目的とした攘夷思想家達の動きが活発化、京は天誅や暗殺が横行するようになっていた。
最初こそ、日本からの外国人排除を目的としていた彼等であったが、やがて尊皇や佐幕等様々な派閥に分かれ、その活動は幕府自体を揺るがし兼ないものへと変化していった。


――――そして、この年。
京への将軍上洛を機に京の西方、壬生村で《壬生浪士組》が産声をあげた。
局長近藤勇、副長土方歳三山南敬助等。
後に、新選組と呼ばれた集団である。
彼等は、京の治安維持を行っていた会津藩(現福島県)の配下として不定の輩を取締まり、やがてそれは池田屋事変という巨大な時代の流れへと彼等を導いてゆくこととなる。
そして、この集団の中に若干二十歳で一隊を束ねる、若き副長助勤役がいた。その、余りにも見事な剣捌きから当時壬生の鬼とも囁かれた………


沖田総司藤原房良、その人である。






―――その夜。


     フルル……ッ


「――………ん……」
娘は、手足に走るただならぬ震えと共に、その瞳を開いた。頭が酷くぼんやりとし、体中が怠い。しかし、瞳に映る見慣れた風景に、生きていることだけは確なようであった。顔を撫でる夜風に、郭からであろうか、白粉の慣れた香が紛れている。


娘の本名は――……、みつ。


予め、本名と書いたのはこの娘の職業が夕月という、祇園の芸者だったからである。
この宵もみつは、いつも通り、妹分の小君という舞妓を連れ、慣れた足取りで、贔屓の料理屋・村瀬へ向かった。座敷へ入ると、すでに宴は始まっており、三味線や鼓の音が男達の歌声と重なっていた。座敷へ着くなり、みつも持っていた扇を片手に舞を舞い自慢の喉を鳴らす。ごくごく普通の、よくある宴の場。
―――――しかし。


「くそっ!!
   謀ってやがったな沖田ぁ!!」


楽しい宴は突然、終焉を迎えた。
何の諍いがあったのか。突如、みつのすぐ横に座した男が声を荒げ、一人の侍へ斬り掛かったのである。
実はその男、新選組へ入りこんでいた


……………間者(スパイ)。


処断のため己が、謀られて宴へ誘い込まれたことに勘づき、共に店へ来ていた沖田に斬り掛かったのである。刄が甲高く鳴く中、一気に乱闘と化した宴の場。
しかし、その刹那。
待ち構えていたように、十数人もの浪士組の者達が、襖越しから一斉に押し寄せ、辺りは一面、地獄絵図さながらの光景となっていった。


   キィンッ!! おぉおっ!!


燭台の火は吹き消され、刄の擦れる音に吹き飛ぶ指、悲鳴、呻き声……様々な音が闇を飛びかい、強烈な鉄の臭いが辺りを包んだ。
そして………あの時。


「っ、瞼を、閉じなさい!」


という言葉を最後に、みつは沖田が目の前で、斬った男の血飛沫を全身に浴び、意識を失ったのである。


―――鬼、だ。紅の……。


ひんやりとした夜風に揺れる、真紅に染まった前髪。その隙間からちらほらと、冷えた瞳をちらつかせた壬生の鬼、沖田の姿を前にして………。





ーーーー……
そのまま、どれくらいの刻が過ぎたのか。
「あ、眼が覚めました?」
「は―――…っ!?」
気付くと、みつはその鬼に背負われていた。
「一体、何がどう……っ」
慌てふためきながら辺りを見回すと、上空には三部咲きの櫻、横には河原が広がり、どうやら時はまだ宵のようであった。
「…落ち着いてください。先程の乱闘で貴方は気を失って…。覚えてます?」
「っ、―…下ろして!鬼の世話になんか!」
とはいえ、いつまでも血なまぐさい、その背に背負われるわけにもいかず、みつは一言そう叫ぶと、手足を振り暴れ始めた。細い手足を懸命に振り乱し暴れたが……


    ズキッ!
「っ、痛……っ!!」
突如、左足を襲った激痛に動けなくなった。
「大丈夫ですかっ?貴方の足首、どうやら捻っているらしくて酷く腫れているんですよ。だから…」
すると、沖田は一度立ち止まって、みつを背負い直し「少々、血なまぐさいかもしれないけれど屯所(宿舎)までは暴れないでいてくださいね」
と僅かに振り返り微笑んだ。どうやら宿舎に戻り、傷の手当てをと考えていたらしい。
「―――………」
みつは返答もなく、そっとその背へ再び、しがみ付いた。遠く、梟が鳴き、騒めく夜風に混じった甘い櫻の薫が鼻腔を擽る。辺りはすでに人影もなく、蒼白い月光に柳がワサワサとなびいているのみ。


―――――……


「……あの………」
と、ここで口火を切ったのは沖田。後頭部に高く結われた長い黒髪を月光に溶かしつつ
「…すみませんでした…」慣れないのか、口籠もりながら一言ポツリと口を開いた。全く予想もしない言葉に、え…?と、みつは小さく問い返す。すると、まるで叱られた幼子のように肩を窄め
「…その。目の前で人を斬ってしまって。言い訳かもしれないけれど、実戦で人を護ったのは初めてなんです」
沖田は引きつった笑顔で笑った。
「………っ」
――……初めてだったんです。
まさかの言葉であった。壬生の侍達と言えば、近頃江戸から京へやってきた暴れ者。それが巷での評価であり、みつの感想だったからである。血も涙も乾ききった、冷酷な…鬼。しかし先程…
  《すみません……》
そう言って笑った、この鬼は…
(…哀しそうだった…)
真赤な血飛沫を浴びて、あんな冷えた瞳を見せたのに。


   どうして……?


    フルルッ
「っ、――…………?」
ふと、感じた震えにみつは己の右手を覗きこんだ。しかし案の定、そこには震えどころか傷跡すらない。みつは首を傾げた。
―――そして
(っ、まさか、この震えは)考えついた結論は………。

     グッ


――この、《人》の……―「わっ?どうされたんです?何処か痛みが……?」
「………っ」
(先程、目覚めた時感じたのも《この人》の…)
その<答え>に辿り着いた時

《初めてだったんです。》―《恐かった》んだ。
鬼だ何だと呼ばれながらも誰かの命を助けようとして。必死に、護ろうとして―

「っ、あ…の、首っ。首が締まっ…………っ」
「えっ、あ!………」
気が付くと、みつは沖田の首へ回す腕に力を込め、その大きな肩を抱きしめていた。
「申し訳ありませんっ」
「……構いませんよ……」あの、哀し気な笑顔を覆い隠したくて……。
    そして
「…夕月さん」
「……みつ。と申します。本名は…」
「えっ、本当ですかっ?
通りで似てるはずですよ私の姉と」
「姉上様もミツ様と…?」「えぇ、剛力なところが」「ごっ、剛………っ」
「っ、嘘ですよ。やっぱりそっくりだ…」あははっ
沖田総司という人物の、
《本当の笑顔》が見たくて……。

「………みつさんはっ」
「っ、…………」
再び、夜風が通った。その湿った風に吹き誘われ二人の上空では三部咲きの夜櫻が音もなく、頭を垂れる…。

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