風姿華伝書

□華伝書95
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「で?どうなったんだよ。

その女、送ってったんだろ?」


「もしかして、町娘さん


じゃないの?もし


そうだったなら


原田さんとは身分が・・」

話を盛り上げる永倉さんを

よそに、藤堂さんは不安げ

に眼を細めた。


当時。


武士と町人など、身分違い

の結婚は御法度である。


もし、どうしてもという


場合、一度、相手方を


武家の家の養子にしてから

晴れて婚約するなど、裏の

やり方もあることには


あったが、もともとが


御法度故に、もちろん


見つかれば裁きがくだされた。


それ程に、いくら


時勢乱るる幕末といえど


まだ身分という壁が


町人・武家・百姓の間には

存在していたのである。


「それがよぅ、平助」


しかし、そんな藤堂さんの

心配をよそに原田さんは


満面の笑みを浮かべ


嬉しそうに微笑んだ。


「心配いらねぇんだよ。


送ってったその娘の家はさ

何と、御家人の家だったんだ。


親父殿は流行りの病で


先に他界していて、今は


母親と兄弟抱えて細々と


暮らしてると話てたぜ」


「そうなんだ一・・・・」

「まぁ、何にせよ。


一応でも武家なら、


よかったじゃねぇか。


・・それにどうせ、お前の

ことだ。もし身分が違って

いても、その娘・・・・・

・・本気なんだろ?左之」

先程から、笑みの止まない

原田さんに永倉さんは


ため息まじりに尋ねる。


すると原田さんは着ていた

着物をバッと広げ件の腹傷

を皆へちらつかせ、


「おぅよ。<おまさ>は俺が

もらう。それまで俺ぁ、


斬られたって死なねぇぜ!

この腹傷に誓ってなっ!」

と、半ば叫ぶように声を上げた。


途端に、なんじゃそりゃと

本気で話す原田さんの


様子に聞いていた二人の


間から、爆笑の嵐が


吹き荒れていった。


果たして一・・・原田さん

の運命や如何に。


春の夜に、一つの星が


静かに流れていった。


一・・・すべての結論は


<神のみぞ知る>といった


ことであろうか。


「一・・・・・・・・」


(一・・・・・ここ・・・

俺の部屋だよな・・・)

という、副長の心の呟きと

ともに新屯所での初夜は


深まっていく一・・・・。





一・・・・・同刻。


すっかり深まっていった


春の闇に縁日の出店に掲げ

られた提灯や燭台の灯りが

溶け込んでゆく中・・・。

緑の葉が生い茂る薄暗い


林の中に未だ、二人の姿があった。


「・・・あの、先生・・」

ふいに、みつが口を開く。

ん?と、先生が瞳を向ける

と、その顔は今にも凍り


つきそうな程に、色を失い

不安気な様子であった。


「・・どうしたんです?」

そこにいつもの笑顔も


明るさもないことを感じた

先生は、俯くみつの肩へ


手をかけ、尋ねた。


すると、みつは一度、


先生の瞳を見たものの


すぐ顔を下へ向け、しばし

の間の後、ようやく


「先程の・・・ことなのですが。


あの方は、その・・・・・

先生の知っておられる方


なのでしょうか?」


と、意を決したように


必死な目付きで先生へ尋ねた。


「一・・・っ。・・・・」

一瞬。


先生の顔つきが強ばる。


「あっ、す、すみません。

別に何という理由もない


戯れ言とお考えください。

ただ少し気になって・・」

「昔・・」

「一・・・え?・・・・」

聞いてはならないこと


だったのかと身を縮ませた

みつであったが、先生は


怒る素振りもなく、逆に


哀しげにさえ見てとれる


瞳をしながら、微かに


微笑みを浮かべていた。


風に流された黒雲が


緩やかな光を地上へ注ぐ


真白な月へ覆いかぶさっていく。


二人の間に、どこから


ともなく、運びこまれた


竹林の青々とした葉が舞う。


すぐそばで開かれている


縁日に騒めきたつ人々の


喧騒が、遠くに響いていた。


「一・・・あの<吉次>と


いう人は昔、江戸の試衛館

へ稽古に来ていた方で・・

門人であると同時に幼い頃

私が一・・・・・我を失い

斬りかけた人なんです」


「一・・・・・・・っ」


この時、みつの中で


うごめいていた疑いが


晴れて確信へと変化していった。


先程、吉次・・・という


名を先生の口から聞いて


からというものずっと気に

なっていたのである。


どこか一・・・どこかで


    <吉次>


聞いたことのある名ではないかと。


それは一・・・以前、


ここから然程も離れて


いない明光寺という寺の


和尚から聞いた先生の


過去に幾度となく


出てきていた一・・・・・

(幼い頃の先生を、よく


いじめてたっていう・・)

<あの>吉次一・・・・・。

そして同時に吉次は先生が

我を見失い<鬼>となった末

副長以外に、本気で


斬りかけた人間でもある。

みつは先生から顔を背けた。


そうだったのかという驚き

故も、ある。


しかし、実際はそれ以上に

(まさか、先生と関わりの

ある人だったなんて・・)

という<私情>の方が胸の内

を大きく占めていた。


「一・・・みつさん?」


己以上に、気の沈んでいる

様子のみつに先生は


驚いたように声をかける。

すると、しばらく考え事に

ばかり気をとられていた


みつはビクッと飛ぶように

声をあげ、


「な、何でもありません」

と、微笑んでみせた。


しかし、一向に不思議そう

な顔つきをする先生に


困り果てたみつはしばし


考えた後、何かを決意する

ように一度、唇をかみしめ

ると、先生の手を両手に


包み一・・・・・・・・・

挿し絵です。


「一・・・本当に、何でも

ないのです。それよりも


このままこの場にいては


風邪をひいてしまいます。

一・・・・・家へ


帰りましょう、先生っ」


と、声をかけた。


「一・・・・・・・・。


・・・・・えぇ・・・・」

月夜に、月色に染まった


みつの蒼白い笑顔が先生の

漆黒の瞳に陰を


落としていく・・・・・。
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