風姿華伝書

□華伝書95
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一何人斬ったのですか?一

「一・・・何人・・ねぇ」

少し、微笑むようにして


吉次はみつを睨み付ける。

みつはその眼がすでに


血走っていることを感じ


思わず身を震わせた。


以前見たことのある、


岡田以蔵の眼とはまるで


質の異なった瞳を吉次と


いう男が持っていたからである。


人を上から見下すような、

かといって言い返すことも

できないような一・・・・

威圧感、そして、何より


想像すらつかないような


《怒・憎・恨》の感情が


身体中からにじみ出ている

ようであった。


そしてその矛先にいるのは

「一・・・・・・・・・」

その瞳を一心に受けつつ


みつの前に立っている


沖田先生一・・・・・・。

(この人は先生を憎んでる。


例え、先生を斬っても


なくならない程の恨みを


抱いてる一・・・・・・)

すでに、まったく二人の


関係や過去を知らない


みつでさえも察しがつく


程に、この吉次という男が

先生を憎んでいることは


火を見るより明らかであった。


一・・・一体、何が・・一

何が、この二人にあったと

いうのであろうか。


  ・・・っ・・・


   ザザッ!!!


「一・・・せっ・・・・」

キィンッ!ズザサッ!!!

先生!?と、みつが叫び


かけた時にはすでに先程


まで互いに睨み合っていた

二人はかけだし、刄を交え

軽く組み合うと再び互いに

間合いをとり、離れていた。


(一・・・何て、速さ・・)

まさに、神業というか


何と表現すればいいのか。

春風に散った葉が風にのり

地面へ辿り着く程の、


本当に一瞬の出来事であった。


視力が落ちている上、


日が暮れ、今やほとんど


物を見ることの叶わぬ


みつには、もちろん


二人の姿は見えるはずも


なく、ほんの一時のことに

みつは眼を丸くする他なかった。


感じたのは、先生の


走りだす音と、その刹那に

吹いた一陣の<風>一・・。

ザワッと辺りの木々が


互いに刄を交えた二人の


髪を揺さ振った。


「一・・・つまらねぇな」

一・・・すると、急に


先程までの殺気溢れる


空気を突き破り、カチャン

と刀を鞘へ収めると同時に

「・・・<弱ぇ>・・・・。

これじゃ、お前を倒すこと

なんざ、容易くてあくびが

でらぁ。一・・・鬼に


なってみろよ、宗次郎。


あの時のように一・・・」

と、口を開いた途端、


ピシッと先程吉次に


斬られたと思われる、


先生の右頬が裂け、朱色の

血がしたたり落ちていった。


「一・・・・・・・っ」


ピクッと先生の拳が揺れる。


一・・・《あの時》・・一

吉次は、ついに先生へ背を

向け、歩きだした。


「一・・・そうじゃなきゃ

今にお前は全てを失うぜ。

仕えるべきものも、お前の

護りたいものも、そう・・

《全て》な一・・・・・」

と、最後に殺気だった眼を

先生へ向けながら一・・。

「一・・・・・・・っ」


その言葉に、先生の瞳は


みるみる、殺気だってゆく。


鼓動が瞬く間に速くなり、

身体中が燃えたぎるように

熱く、そして、心の内が


よどんでいく一・・・。


光も希望も喜びもない


一・・・《漆黒の闇》に。




「一・・・沖田先生っ!」

「・・・えっ・・・・っ」

その声に気が付いた時


すでに、みつの手は先生の

傷ついた右頬へとのびていた。


「どこか、お怪我はっ?


すみません。暗くて先生が

どこに立っておられるのか

さえもよくわからなくて」

突然、伸びた手になかなか

言葉を返せない先生に


みつは必死に弁解しつつも

不安に顔色を染めて尋ねた。


「一・・大丈夫ですか?


その一・・・・・・・っ」

フッと先生の肩から力が


抜ける。


挿し絵です。


「えぇ、大丈夫です・・」

と、答えると同時に先生の

大きな手のひらがみつの


小さな手に音もなく静かに

重なっていった一・・・。
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