風姿華伝書

□華伝書86
2ページ/9ページ

一・・・その夜。


春の夜長。


ワォーンと野犬が妙に


騒つき、遠吠えを響かせる

最中一・・・・・。


(一・・・・・うるせぇな)

ワォーンワォーンと何度も

遠吠えする野犬に毒舌を


はく者が一人。


小机に向かう身をゴロンと

横にした。


辺りには書状やら故郷から

の文やらが置いてあるとは

言いにくい程に散乱して


おり、その中には


  《豊玉発句集》


と記されたものもあった。

フワッと夜風が部屋と


舞い込み、行灯の灯と共に

発句集の紙をはらはらと


散らしてゆく一・・・。


そして、風が止んだ途端


ふと、ある俳句が表れた。

「一・・・・・・・・」


軽いため息混じりに


土方さんは手を伸ばす。


そこには一・・・・・


《水の北山の南や春の月》

と、土方さん独特の


緩やかな、女子のような


筆遣いでしたためられていた。






一・・・・・・・すると。

     スッ


ふいに、障子戸が開かれた。


「・・・何の用だ?」


寝転んでいた身を起こし


辺りに散らばった書状など

を集めつつ、いつもの


冷たい目付きをしてみせる。


姿を現したのは、優であった。


「お茶・・・持ってきた」

「一・・・・・・・・・」

と、一言つぶやくと


持っていた湯飲みを机へ


運んだ。


ふと、土方さんの眼が


優へ向く。


しんみりと静まり返った中

ワォーンと再び、野犬が


鳴いていた。


「後で、また湯飲み取りに

来るから・・・・・・・」

珍しく、いつもの元気も


なく、暗い雰囲気を


醸しつつ、さっさと湯飲み

を置くと一度も土方さんへ

眼を向けることもなく


部屋を去ろうと障子戸に


手をかけた。


その刹那一・・・・・・。

「一・・・・・・・っ」


ピタッと優の手が止まる。

思わず、肩が小刻みに震えた。


そして一・・・・・・


「・・・おい一・・・・」

と、声をかけられたと


同時に優はフラッと畳へ


座り込んでしまった。


「どうした一・・・?」


驚いた土方さんは


振り返ると手を差し伸べた。


すると、優の口から


「一・・・さっき実家から

文が来て一・・・・・・」

と、言葉が零れ落ちた。


「一・・・・・・・・?」

「一・・・《父上》が・・

亡くなったと一・・・」


「一・・・・・・・っ」


優の父は身体を悪くし


近頃はずっと床に臥せって

いるという状態であった。

母はすでにおらず、


ずっと幼い兄弟達が優に


変わって父の看病をしていた。


優も働いて得たお金の程


すべてを江戸の実家へと


送っていた。


そのお金で薬も買え


最近は病状もよくなって


きていると文が来ていた


最中の悲劇であった。


春の夜風に誘われ、優の


肩が揺れる。


いつもは気丈な優の


このような姿を土方さんは

今まで見たことがなかった。


泣く姿すら、一度も


見たことがなかったのだ。

「・・・優一・・・・・」

「一・・・・・・・っ」


土方さんの低い声が辺りへ響く。


優はその声に導かれるかの

ように、太い腕の中へと


吸い込まれていった・・。

ワォーンと遠くなった


野犬の遠吠えと共に優の


嗚咽が静かに漏れる。


そんな中。


行灯の灯に映し出されるは

二人の重なる陰一・・・。
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ