みじかいの

□水葬の月
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「クラゲが溶けちゃった。」




抑揚のない声。

薄暗い部屋の片隅で青く光る水槽に目をやれば、昨日までユラユラと水中を漂っていた半透明の生き物は跡形もなく消えていた。


「海月(くらげ)って溶けるんだ?」

「うん。寿命がくるとね、水に還(かえ)っちゃうの。クラゲのほとんどは水でできてるから。」

「ふぅん。」


あの海月は自分が海で捕まえてきたものだった。
と、言っても水面に浮かんでいたのをビニール袋で掬い上げてきただけなのだが。
彼女はそれを水槽に移し、一日中飽きもせず眺めて暮らした。
どこが顔でどこが体かも分からない、芸も覚えない未知の生物を愛でた。


そんな彼女の気侭(きまま)な生き方は、水中を漂う海月に似ている。



彼らが漂うのはけして気まぐれなどではなく、どこか決まった場所を目指して必死に泳いでいるのだとしたら。
こんな俺の考えを大いに批判しただろう。
だが毎日海月を眺める彼女を見ていると、
こいつら似たもの同志はもしや俺の知らない何かで繋がっていて
言葉を用いずとも意思の疎通が出来るのではないか
なんて子供じみた空想を思い描いてしまう。
もっとも、海月と人間が何を話題に会話するのか
俺には見当もつかないのだが。


その“似たもの同士”の片割れの、突然の蒸発…いや、溶解。
あんなに可愛がっていた割りには冷めた反応だったため、声をかけるかかけまいか悩んでしまった。
すると彼女の方が先に口を開く。



「あたしも」


「………?」


「あたしも死んだら、水葬(すいそう)にして。」




水葬。火葬の一般的なこの国では聞きなれない響きだ。
だが意味は分かる。


「…人間は水に溶けないよ。」

「そんなの、やってみなきゃ分からないじゃない。
 人間もクラゲも水から生まれたんだもの。水に還っても可笑しくはないでしょう?」

「例え溶けたとしても、君には分からない。」

「貴方が見ていればいいのよ。貴方が“人間は水に溶ける”という新事実をその目に焼きつければいいの。」


まるで暖簾(のれん)に腕押し。何を返しても勝手な理由をつけて自分を正当化する。
結局こっちが黙らない限り不毛なやりとりは終わらないのだ。




「…でも君は当分死なないと思うよ。」

「どうして?こんなに不健康な生活をしてるのに?」

「なんていうか、凄くしぶとそうだ。」



それを聞くと、彼女は一つだけ不敵な笑みを零した。
読もうとするのがそもそも間違いであるとでも言わんばかりの、腹の読めない微笑み。
いっそ凶悪に見えるほど純粋無垢な存在は限りなく自由だ。


会話が退屈になると、今は水だけの水槽をいとおしく眺める作業に戻る。
その様子を確認してから、自分も読みかけだった小説に目を戻した。












 水   

   (ユラユラ、ユラリ)








Fin.











090117

こういう怠惰な感じが好き。

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