みじかいの

□淡水金魚の庭
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小学生の頃、実家の近くの夏祭りで、迷子になったことがある。

どこへ行くにも親の服の裾を掴んで歩くような子だったから、はぐれること自体が珍しくて
はじめは近くに親がいないことにすら気付いていなかったくらいだ。

夕刻になって人が増え始めた神社の境内。母が近所のおばさんに捕まっていた時、私は軒を連ねる屋台の列から少し外れたところに、青いビニールプールを見つけた。
かけ寄って覗き込むと、朱色の金魚達が各々好きな方向へと身を泳がせている。
祭りの出し物の中で、私は金魚すくいが一番好きだ。
小さくも巧みに水を泳ぐ様、時折水面に顔を出す仕草、光に当てられて煌めく金色
それらすべてを美しく、愛らしく思った。
今思えば小学生にして随分渋い好みだが、当時の私の大人しい性格をふまえると、動き回る犬や猫より水槽の中だけで暮らす物言わぬ魚の方が、性に合っていたのかもしれない。
湿ったビニールに手をついて、一心不乱に金魚達を眺める私を見て、おじさんが一回分サービスをしてくれた。
そうしてお気に入りの一匹を入れた小さな袋を指にさげて、上機嫌で人の列を離れた時
ようやく今自分がひとりぼっちであることを思い出したのだ。


「…おかあさん……?」
辺りを見渡してみても、それらしい姿は見つからない。
かといって、さきほどより人の増えた屋台の行列に突っ込んでいく勇気もなかった。
どうしていいのか分からず、同じところをウロウロする私の心情を感じとったのか
袋の中の金魚が不安げに跳ねる。




「おい」

どのくらいそうしていたのだろう。
気付くと目の前に、水色のもんぺを着た男の子が立っていた。
「おい。」
さきほど聞こえたのと同じ声。どうやら私に話しかけているらしい。
「その魚、おまえのか?」
男の子は私の持っている金魚の袋を指して、そう言った。
表情は窺えない。と、いうのも、男の子の顔は屋台に売っているような「おかめさん」のお面に完全に隠されてしまって、顔全体がまったく見えないのだ。
それだけでも変わった子だと思ったが、さらにその男の子の無造作に切られた短髪から、二つの“ツノ”のようなものが覗いているのが見えてもっと不思議に思った。
当時祭りやパーティ用の装飾グッズが流行っていたので、おそらくその類のものなのだろうが
装飾グッズとお面を同時に使用する人は見たことがない。

「…そうだよ、あたしのだよ。」
「おまえがとったのか。」
「とったんじゃなくて、すくったの。」
「そうか。それ、おれにくれ。」
とにかく問われたことに答えようと言葉を返すと、男の子は淡々とした物言いで、私の金魚の前に手を差し出した。
とんでもない!反射的に袋を引いて体の後ろに隠す。
「や、やだ!」
「なぜだ。」
「これはあたしの金魚なの…!あげたくない!」
「たのむ。腹がへってるんだ。」
「たべちゃうのっ!?やだやだ、絶対だめ!!」
いっそう頑なに拒絶の意を見せる私に、男の子は少し俯いた。
依然どんな顔をしているのかは分からないが、どことなく肩を落としているように見えて
なんだか後ろめたい気持ちになってしまう。
「……おなか、すいてるなら…向こうのお祭りでお肉を買ってたべればいいのに。」
「肉はきらいだ。魚がたべたい。」
「でも、金魚はだめだよ。…たべるものじゃないもの。」
「だけどうまそうだ。」
「だめったら!」
それでもなかなか男の子の意識が金魚から逸れないことに焦りを感じた私は、自分のポーチから飴玉を二つ取り出し、それを男の子に差し出した。
「金魚より、こっちのほうがおいしいよ。」
「なんだ、これ。」
「あめ。こっちがオレンジ味で、こっちがブドウ。」
飴玉より金魚がおいしいとは思えない。きっとこれで不毛なやりとりは終わるだろう。
男の子はしばらく不思議そうに手のひらの上で二つの飴玉を転がしていたが、やがて二つ同時にぱくり、口に放り込んだ。
「…………まあ、うまいな。」
「……でしょ?あたし、あめだいすきなの!」

私と男の子の間を、夏の涼風が走り抜ける。
男の子とこんなに話が弾んだことは初めてだった。口数の少ない私にとって、男の子というのは敬遠してしまいがちな存在でもあったのだ。
しかし今はどうだろう。やりとりこそ奇妙でも、この子とは普通に話せている。
もっと話していたいと思った、その時。


「…、みちるー!みちる、どこー!?」


遠くからお母さんの声が聞こえてきて、自分が迷子であることを思い出した。
さきほどまでの気持ちから一変、急に恋しくなってしまい、反射的に振り向く。
「おかあさん!」
「みちる!!」





初めに聞こえた声よりずっと、おかあさんは近くにいた。
振り返った先で、少し申し訳なさそうな顔をして立っている。
「ごめんねぇ、ちょっとお話するだけのつもりだったんだけど。」
「だいじょぶだよ、おかあさん。同い年くらいの男の子がいてね、その子と話してたから。」
「男の子?」
「うん、すぐそこに―――…」



 「 でもやっぱ、魚のほうがうまいな 」




* * *




「……それで、どうなったの?」

あれから10年後。今年も行われる神社のお祭りに、私はいた。
高校卒業と同時に上京し、慣れない都会で一人暮らしを始めた私だったが
この季節になるとどうも故郷が恋しくなってしまって、今は里帰り中。
「それでね、振り返った時たしかに声は聞こえたんだけど、男の子はいなかったの。」
「それは不思議だね。」
「でしょ?まるで風みたいに、急にいなくなっちゃって。」
懐かしい郷土を歩くうちに、私達の会話はもっぱら幼少時代の思い出話となり
人生で初めての迷子体験を話のネタにした。
隣を歩く彼もこの土地の人間であるので、通じるものがあって楽しい。
「でも良かったね。その子のおかげで、初めての迷子も心細くなくて済んだんじゃない?」
「そうなの!なんだか私を励ますために出てきてくれたみたい!」
「あはは、みちるらしいプラス思考だ。」
きっとあの時のことは、いずれ忘れ去られてしまう不思議体験なのだろう。
私が迷子になった瞬間現れ、見つけてもらえた瞬間居なくなった男の子が誰だったのか
何だったのかは分からないが、あの子が私を励ましにきてくれたのではないか、と思うと
何故か暖かい気分になれるのだ。それだけでいい。


その時、屋台列の中に『金魚すくい』の文字を見つけた。
すかさず私は彼の袖を引いて進路を変える。
「奈生(なお)くん奈生くん、金魚すくいやってってもいい?」
「いいけど…金魚すくい、好きだねぇ。」
浴衣の裾が濡れないよう肘まで捲りあげてから、ポイを受け取った。
小さい頃から好きでやってるだけあって、なかなか上手いほうであると思う。
難なくすくい上げ、袋の中で泳ぐ金魚は5匹。たった1匹しかすくえなかったあの頃とは違い、
金魚たちは賑やかで少し狭苦しそうだ。
「こんなに持って帰って、どうするの?飼うの?」
「うん。お母さんが実家で飼ってくれるって。」
出来ることなら東京まで持って帰って飼いたいけれど、道中で死なせてしまったら可哀相。
ビニールの紐を指に絡ませ、顔の前で金魚の袋を揺らした。
屋台にぶら下がる提灯の光に反射して、小さい鱗があちらこちらでキラキラ光る。

その様子を眺めていると、隣で彼も袋を見つめているのに気付いた。
「奈生くん?どうしたの?」
「…いや、なんにも」



「 ただ、おいしそうだなぁと思って。」




私達の間を、夏の涼風が走り抜けた。






 

 (袋の中で踊らされているのは、何も金魚だけじゃない)







Fin.








110415

ジャパンエキゾチシズムを意識して。
犬や猫もいいですが、金魚も好きです。
あの鳴いたり動き回ったりしない奥ゆかしさとか、赤と金の色みとか。
いつか飼いたい。


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