企画本棚
□本編
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あいうえお作文
あいつが姿を消してから、三週間がたとうとしていた。
いつもふらふらしているような奴ではあるが、三週間も音沙汰なしなのはさすがに心配にもなる。
うつうつ(鬱々)とした気分を表すような濃灰の曇り空を見上げて、ため息をついた。
えき(駅)の改札で見たそいつの後ろ姿が今更になって気になり始める。
おもえばあの時から、何かおかしかったのかもしれない。自分勝手な妄想が浮かんでは消え、また浮かんだ。
かんしょう(干渉)されることを何よりも嫌ったあいつは一体何を考えているのだろう?生まれたばかりの歯がゆさは俺の胸をジリジリと焦がしてゆく。
きづくと俺の足は、ひとりでに歩きはじめていた。いつまでも、この場にいないやつのことを考えていたって仕方ない。あいつの考えていることが分からないなら、直接聞いてやればいいのだ。
くりあ(クリア)になってゆく頭。お前の居場所がどうたらこうたら、青春群像劇を演じる気はサラサラない。ただあいつに聞きたいことがある。お前は一体何から逃げている?
けどられて(気取られて)いないと思っていたのだろう。俺の前に現れるときはいつも平然と、余裕さえ感じられる表情で笑っていたあいつ。
こし(腰)のポケットから携帯を取り出す。まさか俺から電話をかけることがあるなんて。あいつとの繋がりは、もうこのただの11桁の数列にしかない。その事実に少なからず落ち込んだ俺に静かで無機質な呼び出し音はどこまでも冷たい。
さんかい(三回)目のコールを数えたところで、異変に気付いた。呼び出し音と呼び出し音の間に、短いノイズのようなものが入っているような気がする。……いや、気のせいじゃない。
しばらくノイズと呼び出し音が混ざった不快な音が続いた。こいつ、北極にでもいるのか?そんな疑問が浮かんだところで、ふいに雑音が途切れる。動かない静寂が電話越しでも伝わってきた。
「…もしもし」
久々に人間の声を聞いたような気がした。
すっかりカラカラに渇いてしまった喉から、かすれた声を絞り出す。謎のノイズとしばしの緊張が俺に与えたものは、うろたえてしまうほどの静寂。
「三上(みかみ)………?」
相手は何も答えない。嫌な沈黙が流れた。
せいじゃく(静寂)で息が詰まりそうだ。かといって、言うべき言葉も見つからない。
「うん、俺だよ。久しぶり〜」
先に切り出したのはあいつだった。一瞬前の沈黙なんか、まるでなかったかのような軽いノリ。電話口には確かに"いつものあいつ"がいた。
「久しぶり〜、じゃねーよ。お前、どこ居るんだ?お前の家の郵便受けがすごいことになってるぞ」
「そっかぁ。郵便受けのことは考えてなかったわ」
俺の焦燥を微塵も感じ取る気のない、間延びした声を聞いて、怒りとも呆れともつかないため息をつく。
なんだこいつは。俺の気も知らないで、本当に勝手なやつ。
俺はなんだかんだこいつのことを心配していたらしい。顔なじみと言っても定期的に会う関係ではないし、男同士の友情は女性間のそれよりずっとドライなものだ。その気になれば放っておくこともできたと思う。
たいして気にもしていない素ぶりをするつもりだったのに、いざ話してみるとやはり気になって仕方がない。そんな自分に思わず苦笑いがこぼれた。
「んで、今どこにいるんだよ」
「一応、実家……になるのかなぁ。ここは?」
「あ?嘘つくな。お前、前に両親はもういないって言ってただろーがよ」
「いや、それは育ての親で。血の繋がりがあるのは、今いるこっちなんだよね」
「おい、そんな事情、初めて聞いたんだけど」
想像以上にヘビーな内容にどんな反応が正解なのかわからない。
「だって話してないもん。うん。まあとりあえず、三上家は複雑なの。君が思ってる以上に」
ちしき(知識)として俺が持つ、「複雑な家庭環境」の例。
それは親の再婚でできた義父、義母との同居だったり、家族との死別によって預けられた家で送る天涯孤独な生活だったりと、まるで昼間にやる三流ドラマの設定みたいなものだが、こいつのケースはそれらのどれにも当て嵌まらなかった。
こいつの育ての親はもういない。だが、こいつを生んだ親はいる。
「つまりね!」
しばらく考え込んでいた俺に、三上はいきなり声を張り上げた。明るいその声に、ふいに背中が寒くなる。
「もうこれ以上詮索はしないでってことなんだけどさ」
いつも温厚そうに微笑むこいつの仮面がとれる瞬間を初めて見た。
「何も浮かばなかったでしょ?正解が分からないなら、もう俺に近づかないで」
(11.09.06)
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