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□青は藍より出でて藍より青し
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「これはどうなさるんですか、オーナー」


事務所の机の上に無造作に置かれていたそれを手に取る。
まるで書類と一緒に廃棄されてしまいそうなほど自然に紛れていた茶封筒だ。
だらしなく開いたままの封筒の口からは札束が覗いていた。

こういうところに疎いのがオーナーの特徴でもある。
一周回って、ついに危険という概念が無くなってしまったのだろうか、この人は。
苦笑いとため息をバレないようにひた隠し、封筒をオーナーに差し出す。


「金庫に入れておきましょうか」
「あげる」
「いいんですか」
「うん」


あいつらにもあげて、と彼は付け加え、ふいっと瞳を逸らした。


「ありがとうございます」


彼は言葉足らずなところがある。
あいつら、というのは店のスタッフのことで
あげて、というのは全員を呑みに連れて行ってやれという意味だ。


以前「オーナーが連れて行かれればよろしいのでは」と進言したことがある。
そうしたら彼は少し黙り込んでから「お前が連れてったほうがいい」とかなんとか言って、またパソコンの前に向き直ってしまったのだ。
スタッフを気遣ってらっしゃるんですか、そんな言葉は出かかったところで飲み込んだ。
確かに彼のことを怖がっている者もいる。しかし、憧れている者だって決して少なくはない。
寧ろ話しをしてみたらいいのにと思うが、それは彼にとったら煩わしいことなのかもしれない。

オーナーが言うことを素直に受け入れたほうが大抵うまくいくのだ。
それを悟ったのは随分と前のことだった。何においても、そう、大体のことがだ。
これこそが彼のカリスマ性であり、私がこの年下の上司を慕っている理由だ。
店の売り上げだってあの頃と比べたら段違いだ。恐らくそれは私一人では成し得なかった結果だろう。
ああ、この封筒の中には店の利益の何日分くらいが入っているのだろうか、とぼんやり思う。

どこからそんな金が出てくるのか、少し考えれば想像できてしまうけど、私はそれをしない。
ずっとしないようにしてきた。そして、これからもしないのだろう。


余計なことは言わず、突っ込んだことを聞かない。
それが私たちのちょうどいい距離感であり、私自身それを気に入っていた。

オーナーのやることには全て意味があるのだとそう信じて疑わなかった。
盲信する私はあなたの目にどう映っているだろうか。
従順な駒としてあれるのなら、それもまたいいと思う。


恐ろしく、そして優しく不器用な人。
あなたの帰ってくる場所が「この店」であればいいと思う。
あなたの帰る場所が「別のどこか」にできればいいと思う。


ああ、今日も彼女は店に来ないのだろうか。
今日で2週間、私は彼女の顔を見ていない。

恐ろしく、そして優しく不器用な子。
あの子の帰ってくる場所が「この店」であればいいと思う。
帰ってこない理由は恐らくこの男にあるのだろう。



彼は私の言うことを察して苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
オーナーのやることには全て意味があるのだと信じて疑わなかった私はもういない。
彼は決して完璧ではなかった。私ごときに悟られ、踏み込まれるところにまで落ちてきてしまった。
そこにあるのは失望だろうか。絶念だろうか。

従順でいて少し面倒くさい駒としてあれるなら、まあ、それもまたいいのではないだろうか。

私は微笑みながら聞いた。
「何かあったんですか?」





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